気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

賀状観感・交友時変

2017-01-07 11:51:12 | 交情

酉年の賀状は概して華やかなものが多い。そんな賀状を今年も頂いた。中には、「年に一度生きてる証しの便りです」と手書きしている賀状とか、「来年からは失礼します。長年の厚情ありがとう。」と書き加えた賀状もあった。加齢とともにそんな友の心情もよく解る。手に取りながら長年の交流に感謝した。

当方は賀状を「親戚・縁者」GPと「あいうえお」別に区分して3年前分迄の賀状を保管している。今年も前年同様の要領で整理した。それが下表である。因みに、今年賀状を差出した数は180枚(200)、頂いた数は150枚(175)である。20年前頃迄は300枚以上のやり取りがあったのだから、この間の交流関係は、時の流れとともにある面空しく萎み、来年以降更に萎んでゆくだろう。*()内は昨年の枚数

頂いた賀状の中で、老令の嘆きを書き記す友の気持ちもよく解る。今年特に気になったことは、若い頃から親しくしている知友人からの賀状が数通来ていないことだ。●今年賀状が途絶えた友はどうしたのだろうか、●末期癌の奥さんの看病で疲れている、と昨年の賀状にあったM君とその奥さんのその後の事情はどうなのか、●パーキンス病で病院暮らしの続くH君の奥さんからも今年は賀状なしなのだが、どんな様子なのだろうか。近況について気になる友については、改めて伺いと確認のはがきを出したい。

更に聊か嘆かわしく思ったこともある。それは、歳は未だ50前後の後輩なのに、年寄り染みたような一筆書きをし、その内容が如何にも消極退嬰的で、かつ、先行きについての前向きの願望表明がない後輩が、かなり多いことである。

そんな後輩には、当方がもう45年余も付き合っている今年98歳の老師の人生訓を聞かせてやりたいものだ。当方は、「黄」さんと呼んでいるこの先輩から、「弱気は損気」「人生一生挑戦」等と発破をかけられて来た。そんな「黄」さんの口から、今日に至るも「もう俺も年だから・・・体もボロボロ・・もう駄目になったよ・・・」などという「老齢の嘆き」を一度も聞いたことがないことだ。

「黄」さんからの今年の賀状には「敬祝你们健康大长寿」と書かれている。俺を見習って大いに長生きしろよ!と激を飛ばされているような思いである。老いて気勢天を見続けているこの爺さんは、当方にとっては、かけがえのない「人生の師」でもある。「黄」さんの賀状を眺めながら、改めてそう思った。