4月3日都内、隅田川沿いを周遊する夜桜周遊船に初めて乗船し、墨田公園はじめ、両岸沿いに咲き誇る満開の夜桜を存分に楽しんだ。
約45分間、船上から彩り鮮やかな東京スカイツリーとその周辺の景観や吾妻橋から桜橋に至る両岸の夜桜は実に見事だった。
折しも、春休み期間中とあって、船内は多くの老若男女や外国人観光客もいたし、この時期ならではの墨田芸者さんによる踊りの披露もあり、雨上がりで日曜日の夜桜周遊ツアーは大賑わいであった。
古いデジカメで、夜景写真撮影に不慣れなこともあり、ピンボケ写真ばかりではあるが、情景説明上は、写真なしより多少はよかろうと思い、敢えて不出来なスナップを掲載した。屋形船が多い遊覧船の中でも当方達が乗船した遊覧船は2階層に展望デッキ付で、墨田川周辺周遊船としては最大級の観光船だった。
乗船料は、ビール等の飲み物に弁当込みで大人2800円だった。僅か45分、されど代金相応に乗って楽しめた日曜夜のひと時を過ごせた。折角の機会なのに、船上デッキからの風景鑑賞よりも、船内に残って飲食しながら談笑する客人もかなりいた。人夫々、人間模様も様々である。夜桜を眺めながら、桜についてふと次のようなことを感じた。
それは、桜はやはり、この時期の花の主役であり、朝・昼・晩夫々に趣を異にする観方で楽しめる。加えて、桜という大和花は、年齢や性別を問わず、観る人を厭きさせず、その人達の心に“しんみりと何かを思わせ、感じさせ、考えさせて呉れる花だ。だから、この点で、この”桜“という花は、確かに” 華麗さと冷徹さを合わせ備えた審美な心の花“だとの思いを新たにした。
同時に、こんなに素晴らしい満開の桜達も程なく散りゆくのか・・と思うと何故か寂しさも感じられた。そんな思いと同時に、あの名曲“さくら”の歌詞にある「霞みゆく景色の中に、あの唄が聴こえる さくら さくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って・・の」一節を思い出した。
乗船した娘夫婦等を含む8人のうち、前記のように聊かセンチメンタルな感じ方をして下船したのは、多分当方だけだったようだ。でもこの度の夜桜船上周遊は、冥途の土産にしたい位極めて素敵で、心に残る貴重な体験でもあった。 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。とにかく桜という大和花は、終活期のこの老生に、この時期、いろんなことを暗示して呉れているようだ。
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