miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

沖縄返還と密約

2009-12-30 | Weblog
沖縄が返還された時、アメリカの寛大さに感激しました。しかし国際社会で損得無しの話などは通用しません。アメリカは政治的にも、経済的にも有利になるような条件で、返還交渉が進められたと考えるのが妥当です。

その実務を担当したのが、外務省アメリカ局長であった吉野さんと、大蔵省の局長クラスの人だったのでしょう。基地の無期限使用、核の持込、駐留米軍の経費負担、裁判権問題など、山ほどの条件があったと思います。

戦争で失った領土を、平和裏に返還されたことに対し、国民は偉大なる政治家として、佐藤栄作総理を誉め称えました。しかし毎日新聞の西山記者は、この裏にはとんでもない密約があると暴露、権力に無残に打ち砕かれた西山記者は有罪判決で、拘置される事態になりました。

返還交渉での条件を拒否したならば、沖縄返還は実現しなかった、そのほうが良かったのかどうかは、別問題として、大きな政治の流れの中で、実利をとるため国民に知られたくない、密約も生まれてくるだろうことは、理解できます。

現に北方領土は、50年に及ぶ年月を経て、いまだに合意点を見出すことが出来ず日露平和条約も締結されない現状です。

不核三原則を国是とする日本ですが、国民の利益のためには、核持込の密約に応じなければならなかった総理の気持ちも少しは解ります。それにしてもこの総理にノーベル平和賞が贈られたのですから、ノーベル賞も政治家向けの平和賞はあてになりません。

坂の上の雲

2009-12-30 | Weblog
司馬遼太郎原作「坂の上の雲」が、NHKスペシャルドラマで、茶の間に登上、ブレイクしています。

明治政府が日本の近代化を図り、国民軍隊の養成に力を入れていた時代。愛媛県松山に、秋山好古(あきやまよしふる)、眞之(さねゆき)の兄弟と眞之の親友、正岡子規がいました。

この3人の生い立ちに焦点を合わせ、活躍の過程を時代の背景とともに巧みに取り込み、明治時代という世相と日露戦争を描いた、壮大な歴史物語です。

秋山好古・陸軍大将、騎兵隊を育て上げ、日露戦争でナポレオンも恐れた、ロシアのコザック騎兵隊を殲滅。

秋山眞之・海軍中将、日露戦争連合艦隊作戦主任参謀。「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」、「本日、天気晴朗なれど波高し」など名言を起案

正岡子規・明治を代表する文学者、15歳で松山中学を中退、上京して大学予備門(第一高等中学校、のちの一高、戦後東大に合併)に入学、夏目漱石や、尾崎紅葉
等と同級になり親交を深める。子規は予備門から東京大学に進んだが、眞之は経済的理由から文学への道を諦め、海軍兵学校に転進することになる。