ついに! せやろがいおじさんが教育現場の問題に切り込んだ!
— Kayachan - Born to Love a Cat (@Mr_Kayachan) 2019年1月29日 - 20:39
この動画で話していること、どの部分も正しい!
取材・勉強してこの動画作ったんだというのがよく分かる!
必見やで! twitter.com/emorikousuke/s…
国立市議を引退し、柏木ひろしさんにバトンタッチします! blog.goo.ne.jp/miyako-owari/e… @owarimiyakoさんから
— 尾張美也子 (@owarimiyako) 2019年1月28日 - 17:09
あー、これはホント現代の日本の社会にとって大事なことが書かれているよなあ。~東大の有期雇用職員8千人の「5年雇止めルール」を撤廃させた労働組合の力 佐々木彈|雑誌KOKKO|note(ノート) note.mu/mag_kokko/n/nc…
— ピッコロ大魔王 (@piccolo_daimaou) 2019年1月28日 - 10:28
今年に入って、ずっとブログを更新できずにいました。書きたいことはいっぱいあったのですが、年末年始、体調を崩したりもあり、書かないうちに遠ざかってしまいました。
新年のご挨拶も遅くなってすみませんでした。今年こそは、ぜひ、政治に民主主義を取り戻す年にしましょう!
2019年、私も還暦になります。
宮崎県小林に生まれ、つくば、福岡、熊本、宮崎、札幌市豊平区、清田区、中央区、そして、ここ国立と転々として、ここまで生きてこられたことに感謝の気持ちで迎えた新年でした。
無我夢中で生きてきた一人親時代を思うと、共に語り共に生きるパートナーの存在は、隙間風が入る部屋を温めてくれる暖炉のよう…うまく表現できないけど…
大切な日々を、より丁寧に生きて、自分の人生を紡いでいこうと、
このたび、しょうがい共に生きる末娘の介護に専念するために議員を引退し、若く前途洋々な候補者柏木ひろしさんに、バトンタッチいたします。
引退の理由を大まかに書きますね。
私は、9年前、しょうがい児を持つ一人親の体験を少しでも市政に生かしたらどうか、と議員への要請があり、多くの方のご支援のもと、
全力で働かせていただきました。
この間、末娘が精神的に大変不安的になり、なぜか、私の夢には、いつも小さい彼女が出てきていました。
思えば、私が一人親になった小学2年生の時から、ヘルパーさんにいろいろと預け、十分に彼女と接する時間がなく、
特に議員になってからは、一緒にいるときも、議会や政治のことで頭がいっぱいで、心から寄り添えていませんでした。
医者の助言もあり、彼女の不安定さを救うには、私がしっかりと彼女に向き合い、寄り添うことが必要とわかり、
24時間議員としての仕事と党の任務を遂行することは困難だと思い、議員を引退しようと決意しました。
決断するまでは迷いましたが、なぜか、決意してから、私の夢に、小さな彼女は出てこなくなり、ぐっすりと眠れるようになっています。
この間、ずっと言い続けてきたことが、少しでも道筋ができたので、自分としては精いっぱいやってきた感はあります。
そして何より
若い人にバトンタッチすることが、長い目で見てもとても大切な事だと、決断しました。
以下は、引退のメッセージとして、新春の集いに寄せた内容です。
国立市議会議員となって二期八年間、皆様の支えのおかげで、多くの声を議会に届けて参りました。
昨年夏は猛暑でしたが、候補者だった9年前も猛暑で公立学校の教室にエアコン設置をと訴え続け、すべての教室にエアコン設置されたとき、また昨年、学校のトイレの洋式化率を8割にすると答弁を引き出した時、住宅政策のない国立市に居住支援の仕組みを作る検討が行われるようになった時、あきらめずに何度も議会で声を上げ続けることの大切さを実感できました。
市議となり、地方財政の仕組みがわかり、税金の使い道で、暮らしはもっとよくなると具体的に暮らしの凸凹を埋めるための提案をしてまいりました。
そして、学校給食の放射能測定、福祉分野ケースワーカー増員、広島・長崎への子供派遣、発達支援室の設置、保育園の増設、福祉避難所の設置、耐震改修の補助の増額など、市民のみなさまに支えられたからこそ、実現できました。深く感謝申し上げます。
国の法律に縛りがあるなか、自治体でできることは限られています。が、独自の予算が、国立市には約40億円あります。
この政策予算をどう配分するかで、街のあり様が決まります。
予算を組み立てるのは市長ですが、それを決定するのは議員の議決です。21名の議員がいる国立市の議員一人の力は21分の1ですが、声が集まることで、大きな力となります。
私が集団的自衛権や戦争法反対の意見書を提案し、可決されたとき、野党の議員に声をかけ、野党がまとまって声を上げることの大切さを実感しました。
1期目の時は、野党と与党の数が拮抗していましたが、2期目では与党の議席が大きくなり、ごみ有料化や定数削減など国会と同じ数の暴挙で、市民生活に対するマイナスの影響が大きくなってしまいました。
4月の市議選で、日本共産党の議席を維持し、野党の中心となって、皆様の声が生かせる国立市政へと転換しましょう。
そして2年後の市長選で革新市政に戻す展望を切り開きましょう。私も、できる限り、共に力を尽くしたいと思います。
これまでのご支援、本当にありがとうございました。家庭の状況が落ち着きましたら、何らかの形で、憲法が響く暮らしを目指すためにできることを探求してまいります。
高原議員、住友議員、そして候補者の柏木さんに、誰もが住み続けられる街、くにたちへの希望を託し、引退の挨拶とさせていただきます。
以上、引退の挨拶ですが、これから3月議会と予算特別委員会があります。
最後まで、高原さん、住友さんとともに、国立市政をもっとよくするために、力を尽くします!1月4日の仕事はじめに、国立市役所のアンネのバラ前で。
以下は、27歳、前途洋々な柏木ひろしさんのプロフィールです。
1991 年 10 月 12 日生まれ
国立市北出身
国立第四小、国立第二中、
星槎高校、和光大学表現
学部・総合文化学科卒業
(卒論は宗教学)
職歴:代々木病院(民医
連加盟)事務職員
東京民医労勤医会支部・
代々木分会書記長
趣味:バイク一人旅(愛
車はホンダ CB400)
フルート演奏
2012 年、日本共産党入党
新年のご挨拶も遅くなってすみませんでした。今年こそは、ぜひ、政治に民主主義を取り戻す年にしましょう!
2019年、私も還暦になります。
宮崎県小林に生まれ、つくば、福岡、熊本、宮崎、札幌市豊平区、清田区、中央区、そして、ここ国立と転々として、ここまで生きてこられたことに感謝の気持ちで迎えた新年でした。
無我夢中で生きてきた一人親時代を思うと、共に語り共に生きるパートナーの存在は、隙間風が入る部屋を温めてくれる暖炉のよう…うまく表現できないけど…
大切な日々を、より丁寧に生きて、自分の人生を紡いでいこうと、
このたび、しょうがい共に生きる末娘の介護に専念するために議員を引退し、若く前途洋々な候補者柏木ひろしさんに、バトンタッチいたします。
引退の理由を大まかに書きますね。
私は、9年前、しょうがい児を持つ一人親の体験を少しでも市政に生かしたらどうか、と議員への要請があり、多くの方のご支援のもと、
全力で働かせていただきました。
この間、末娘が精神的に大変不安的になり、なぜか、私の夢には、いつも小さい彼女が出てきていました。
思えば、私が一人親になった小学2年生の時から、ヘルパーさんにいろいろと預け、十分に彼女と接する時間がなく、
特に議員になってからは、一緒にいるときも、議会や政治のことで頭がいっぱいで、心から寄り添えていませんでした。
医者の助言もあり、彼女の不安定さを救うには、私がしっかりと彼女に向き合い、寄り添うことが必要とわかり、
24時間議員としての仕事と党の任務を遂行することは困難だと思い、議員を引退しようと決意しました。
決断するまでは迷いましたが、なぜか、決意してから、私の夢に、小さな彼女は出てこなくなり、ぐっすりと眠れるようになっています。
この間、ずっと言い続けてきたことが、少しでも道筋ができたので、自分としては精いっぱいやってきた感はあります。
そして何より
若い人にバトンタッチすることが、長い目で見てもとても大切な事だと、決断しました。
以下は、引退のメッセージとして、新春の集いに寄せた内容です。
国立市議会議員となって二期八年間、皆様の支えのおかげで、多くの声を議会に届けて参りました。
昨年夏は猛暑でしたが、候補者だった9年前も猛暑で公立学校の教室にエアコン設置をと訴え続け、すべての教室にエアコン設置されたとき、また昨年、学校のトイレの洋式化率を8割にすると答弁を引き出した時、住宅政策のない国立市に居住支援の仕組みを作る検討が行われるようになった時、あきらめずに何度も議会で声を上げ続けることの大切さを実感できました。
市議となり、地方財政の仕組みがわかり、税金の使い道で、暮らしはもっとよくなると具体的に暮らしの凸凹を埋めるための提案をしてまいりました。
そして、学校給食の放射能測定、福祉分野ケースワーカー増員、広島・長崎への子供派遣、発達支援室の設置、保育園の増設、福祉避難所の設置、耐震改修の補助の増額など、市民のみなさまに支えられたからこそ、実現できました。深く感謝申し上げます。
国の法律に縛りがあるなか、自治体でできることは限られています。が、独自の予算が、国立市には約40億円あります。
この政策予算をどう配分するかで、街のあり様が決まります。
予算を組み立てるのは市長ですが、それを決定するのは議員の議決です。21名の議員がいる国立市の議員一人の力は21分の1ですが、声が集まることで、大きな力となります。
私が集団的自衛権や戦争法反対の意見書を提案し、可決されたとき、野党の議員に声をかけ、野党がまとまって声を上げることの大切さを実感しました。
1期目の時は、野党と与党の数が拮抗していましたが、2期目では与党の議席が大きくなり、ごみ有料化や定数削減など国会と同じ数の暴挙で、市民生活に対するマイナスの影響が大きくなってしまいました。
4月の市議選で、日本共産党の議席を維持し、野党の中心となって、皆様の声が生かせる国立市政へと転換しましょう。
そして2年後の市長選で革新市政に戻す展望を切り開きましょう。私も、できる限り、共に力を尽くしたいと思います。
これまでのご支援、本当にありがとうございました。家庭の状況が落ち着きましたら、何らかの形で、憲法が響く暮らしを目指すためにできることを探求してまいります。
高原議員、住友議員、そして候補者の柏木さんに、誰もが住み続けられる街、くにたちへの希望を託し、引退の挨拶とさせていただきます。
以上、引退の挨拶ですが、これから3月議会と予算特別委員会があります。
最後まで、高原さん、住友さんとともに、国立市政をもっとよくするために、力を尽くします!1月4日の仕事はじめに、国立市役所のアンネのバラ前で。
以下は、27歳、前途洋々な柏木ひろしさんのプロフィールです。
1991 年 10 月 12 日生まれ
国立市北出身
国立第四小、国立第二中、
星槎高校、和光大学表現
学部・総合文化学科卒業
(卒論は宗教学)
職歴:代々木病院(民医
連加盟)事務職員
東京民医労勤医会支部・
代々木分会書記長
趣味:バイク一人旅(愛
車はホンダ CB400)
フルート演奏
2012 年、日本共産党入党