ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

千葉⇒東京⇒埼玉⇒群馬⇒栃木⇒茨城⇒千葉 2

2017-05-02 21:09:03 | 時は輝いている
さて、強行軍の続きです。

東京電力の管理している広大な尾瀬の敷地は、
あちこちから雪解け水が流れ落ち小さな滝を作っていた。
そして、水が合流する川には何か所かの発電所が設けられていた。
川の水は澄み切って渓流釣りをしている姿も見られた。






高い山が無く、平地で海に囲まれている自分には、全てが美しい。
滝の中でも特に目立った滝、車の通行止めになった橋の上から、車から降りて。





絶対に両親はここに来たはずだと旦那とおしゃべりをする。
私が大学進学で上京して、夫婦二人きりになってから、彼等は良く旅行に行った時期があった。
しかし、その時の年齢が今の私より一回りも母は若いのだと気が付き、自分の年齢に愕然とした。

また、自分の両親は二人とも自分の親を兄弟に押し付けて、一切の面倒を看なかった、
だから幸せな人生だったのだとも思った。
私は両親を愛せない(義務だから最期まできちんと見届けるが)親不孝者である、
それがどこに行こうと、何をしようと毎日自分を苦しめている。
産まれて、物心がついて、姉妹の扱いの格差に疑問をもってからずっとだ。
ル・ナールの小説、にんじんのような育ち方をしてきて、最後まで後始末をしている。

さて、私の代は一旦途切れて交流がなかったけれど、私の前後の代は交流していたという、
片品の小学校、分校?は廃校になっていた。


木造校舎が大好きである。

「帰りは日光から帰ろうか?」ということになって、


車はどんどんと標高をあげていくと、


日光まで43キロ、
綺麗な池が見えた、






丸沼というらしい。

そして、そこからさらに山道を登ると、


次の池はカチンコチンに固まっているΣ( ̄□ ̄|||)










菅沼というらしいが、見事に氷の世界。

ここからしばらく下って、
ドライブインに入るが、皆さん雪の壁を前に記念撮影されていた。


叔母にお土産を買って、戦場ヶ原に道すがら向かう。
グンマ―から栃木へ。


日光男体山、



戦場ヶ原は修学旅行コースだった。
そして、アホにも歴史の古戦場だと思い込んでいた。
伝説で神様が戦ったというから、戦場ヶ原なのだが。
そして、ラムサール条約で小鳥の楽園である。




カっ、カササギのカワちゃん?



本州にはいないはず。微妙に似ていた。

ツグミ天国で、ツグミがミーアキャット化、全員で背伸びしていた。




中禅寺湖畔を走り抜ける
観光地のガードレールが茶色なのは美観を損なわないで嬉しい事である。








さて、ここで午後4時30分、
旦那は残りの30分で、「修復が済んだ日光東照宮を観るんだ」と言い出す。
「馬鹿言うんぢゃねぇ、30分で回り切れるかっ、それこそ一日コースだっ。喝。」
「大体、ここで帰っても9時近くなる、あたしはインコや猫が心配よっ!」
というワケでようやく帰路へ、(いろは坂には猿がいて感動する。)

帰り道で見えてきた筑波山。茨城へ突入。

高速の下は、夏は蕎麦の白い花満開だったけど、今は麦畑。


そして、牛久の大仏。




稲敷市のいつも憧れる牧場。

ここらで暮れてきて、写真無し、
ようやくチーバに戻ったのであった、┐(´д`)┌ヤレヤレ







◆帰ってネットを開ければ、こんな悲しい事はない…。
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コメント (4)
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