敬老の日を前に新聞で、テレビで報道された100歳以上
全国で5万4397人と発表された。
最高齢は明治31年生まれの115歳の女性、男性では110歳という。
長野県内では1264人、飯伊で129人最高齢の方は111歳だそうです。
わが母はもうすぐ、もう2年しかないと言っていたのに
最近では掌で5と4を出す・・・判断に迷うが4を強調する。
90+5だという。
大正3年生まれの母は25日で99歳になる。
しかし、自分の歳が分からなくなってしまった。
昨日友達が「お母さんが元気なうちに会いたいな~」と言って
電話をくださった、これから母のところに行くと伝えると
一緒に行ってくださるという。
車中お話し好きな彼女は、「長生きでお良いな~」と言う。
行き会ってくださればわかるからと高齢者住宅に向かう
車いすに乗ってお仲間とデイルームに居た。
何方か解らないようでいる、何回か合っただけなのだが
彼女の姉さんが私の従兄の連れ合いであった、
当然親戚付き合いがあったが、理解するまでは、何度も
「娘からは聞いておった」というが、S.さんと認識するまでに時間がかかった。
会話はちぐはぐでなく、昔話(人名や地名屋号まで)が成立している。
写真を見て懐かしさを共有していた。
「100まで生きれるもの!」 と言ってくださったが、圧迫骨折した母は痛みは訴えるが
車いすを置いて歩いて部屋に戻ってしまう、ポータブルトイレも要らないかな~?
前に転んだら骨盤を骨折してしまうから不安でしょうがない。
電話がかかるとびっくりする
「階段を下りて見えたのです!」と・・・もう、どうなれと怪我しないでいてくれ!と祈る。