地域の話題と花を中心に写真を載せています

ブログに写真をアップする為に
あちこち撮影しています

赤そばの花

2013-09-29 08:45:53 | 
赤そばの花


箕輪町の赤そば
新聞でも報道され、好天でもある。
ドライブも前進走行ならば持続可能
思い切って出かけた。
”赤そば祭り”の旗が目立つ道路
一人行動は初めてであったが、何回か行った場所。
以前より駐車場の案内が多く、誘導に従う。
道路は歩く人でいっぱい、これほど多くの人がどこから来たのであろうか?
コースの案内に混じって”名鉄○○コース”の表示が目立つ
歩くこと15分、真っ赤に染まった畑にため息!圧巻である。
じっと見ていると、アサギマダラが舞ってきた。
狙い、待ち、チャンス!
通りがかりの方が「何を狙っている?」と聞いてくださるので
その方には気づいていないアサギマダラです。
どちらからですか?とお聞きすると、名古屋からという。
フジバカマに寄ると聞いていたが、そばの花の蜜が同じ香なのかな
畑を一巡して、バス5台の人はどこに???散ってしまったのか
急に寒くなって、茎の色も花の色も赤く染まっていました。
赤そばのイベント会場の案内板もあったが
何時も行くソバ店で、つけそばの温かい汁でいただきました。 

お誕生日のお祝い

2013-09-27 15:07:14 | 
お誕生日のお祝い


母の99歳のお祝いを助産婦会の方々がしてくださった。
手書きの色紙を額に入れて、お花のオアシスもくださった。

病院にお勤めの方や、母乳マッサージを開業された方
現在産休中の方と、可愛らしいY.ちゃん(3歳)とAちゃん(1歳)
狭いお部屋が賑やかになった。
助産婦を70年経験した母の話を皆さんが聞いてくださる。
現在の医療は手袋を使わなくてはいけないが
昔は素手で赤子を取り上げていた。
母の手は大きい。 そして稀にきれいだ。
昔は穢れだと言って、お産部屋、畳を挙げた話や
タライで産湯をつかい、何人も産めよ増やせよの時代であったこと
この足で歩いたんな!
大変なことあった? 

手が出てしまった赤ん坊があってな!
会話が弾む、胎盤をどう処理したの?・・・
双子の話や・・・もっと聞きたいという感じでした。

私はしばらくぶりに1歳・3歳の子供さんと
カメラ遊びに興じていました。

今朝から興奮してしまって…とヘルパーさんから
着物を着なきゃとか? 10時には入浴を済ませています、と
リビングにいたが、初めは何のことやらと言っていた母が
お産の話にまたまた興奮、聞き上手な方々で次から次へと会話
お役にたったかどうか?
12時少し過ぎて、お昼お昼!とリビングに向かって歩く。

ヘルパーさんが、車いすは?
手すりに掴まって歩く、頭の中は、パニックになっていない。

仲間とまた自慢話が始まるか
聞き上手な仲間がいて幸せな事。
感謝します。


赤そば祭り

2013-09-24 19:14:22 | 
赤そば祭り


朝晩の涼しさにソバの花も赤くなったか
そば祭りのポスターを見かけた。
20日から祭りが始まったとかいうので、朝出かけてみた。
飯田線の踏切近くなので、遮断機の警報機が鳴り始めた
一斉にカメラを向ける面々、シャッター音も聞こえる。
偶然にも、上下線の電車に遭遇した。
泰阜の地籍では18号台風の被害を受け不通になった個所があるので
復旧には3か月かかるという。
天竜峡の舟下りにも影響が及ぶかもと懸念される。
高校生のバス代替えが報道されていたが、不便が続き
気の毒な事。
また20号台風が接近しそうで、不安は募るばかりです。

祭り会場では元気のいい声が飛び交っていました。
赤そば畑を眺めながら、秋風にススキがソヨイデいる

”新そば始めました”の看板も楽しみです。













彼岸に入って

2013-09-21 14:32:50 | 
彼岸に入って



彼岸に入って、墓参りをして
ちょっと足を延ばして、嶺岳寺さんへ
彼岸花が見事です、 株を増やして、3~5年で開花するという。
一株展示してありました、根を掘って説明書きがされています。
花の咲いた株の周りにいっぱい小さな苗がついて、根で増やすのだそうです。

梅畑の中に、お地蔵さんも数多く、除草作業が大変であろうと推察
手入れをされたお庭もあちこちに点在して株が増えています。

アゲハ蝶も飛んできていました。
新聞報道されたから多くの方がカメラに収めていました。

中秋の満月

2013-09-20 07:25:06 | 日記


すすきが穂を開き、お月見には最高です。



満月

中秋の名月 暦で次回の中秋の満月は8年後になるそうですね。

20時ころが真ん丸だったとか。

観月会の行われたところもあったようで、多くの方が月を見て
何を思ったかしら?






肌寒さを感じる夜でした。 

台風一過

2013-09-17 18:39:09 | 
台風一過


台風の爪痕が残る日本列島、京都嵐山の渡月橋付近は桂川の氾濫で
被害甚大、復旧に何日もかかるであろう…お見舞い申し上げます。

河川の氾濫は、長野県内でも何か所もあって、鉄道も不通になっている
高校生はバス代行があるというが、大変だ。

台風一過、雲一つない空、彼岸花があちらこちらで咲き始めた
土手の草刈りも大変な作業なのに畦畔のの急な除草後はありがたい。

PLフィルターを使ったり外したり、効いていなかったりと、焦るばかりです。

夕方買い物をして帰宅途中、17時にはもう大きな月がのぼりはじめ
もうすぐお月見ですね。

台風上陸前日

2013-09-16 11:24:17 | 
台風上陸前日9月15日


台風が日本列島に上陸しそうな前日
カメラの仲間が来宅・・・これから陣馬形へ行くけれど
昼を済ませてぼんやりしていたが、スワ!
とりあえずカメラを用意、あわてました。
1445メートル近くまで車で行けるので身近な山
何台か駐車場には車がある。

大阪から見えたという女性たち二人
ガスって下界が見えない・・・中央・南アルプスも見えない。

風で動く雲を撮ったりススキを撮ってみたりして
天候が急変するこの頃、下界を離れて涼しい空気をいっぱい吸って
帰りは雨もポツンポツン!

一夜明けて9月16日
テレビから目が離せない。
台風18号は雨風をあちこちに被害をもたらして日本列島北上
台風の目に当たったのかわが地域は風雨もさほど害なく通過
避難勧告が出た地域の皆様にお見舞い申し上げます。
空、鉄道、高速道も混乱しているようです。
3連休の最後、帰宅できずにいる方も多いと報道しています。


100歳以上が全国で5万4000人超

2013-09-15 06:57:04 | 老後
  

敬老の日を前に新聞で、テレビで報道された100歳以上
全国で5万4397人と発表された。
最高齢は明治31年生まれの115歳の女性、男性では110歳という。
長野県内では1264人、飯伊で129人最高齢の方は111歳だそうです。

わが母はもうすぐ、もう2年しかないと言っていたのに
最近では掌で5と4を出す・・・判断に迷うが4を強調する。
90+5だという。
大正3年生まれの母は25日で99歳になる。
しかし、自分の歳が分からなくなってしまった。

昨日友達が「お母さんが元気なうちに会いたいな~」と言って
電話をくださった、これから母のところに行くと伝えると
一緒に行ってくださるという。

車中お話し好きな彼女は、「長生きでお良いな~」と言う。
行き会ってくださればわかるからと高齢者住宅に向かう

車いすに乗ってお仲間とデイルームに居た。

何方か解らないようでいる、何回か合っただけなのだが
彼女の姉さんが私の従兄の連れ合いであった、
当然親戚付き合いがあったが、理解するまでは、何度も
「娘からは聞いておった」というが、S.さんと認識するまでに時間がかかった。

会話はちぐはぐでなく、昔話(人名や地名屋号まで)が成立している。
写真を見て懐かしさを共有していた。

「100まで生きれるもの!」 と言ってくださったが、圧迫骨折した母は痛みは訴えるが
車いすを置いて歩いて部屋に戻ってしまう、ポータブルトイレも要らないかな~?
前に転んだら骨盤を骨折してしまうから不安でしょうがない。

電話がかかるとびっくりする
「階段を下りて見えたのです!」と・・・もう、どうなれと怪我しないでいてくれ!と祈る。

展示品に目から鱗

2013-09-13 14:29:18 | 日記





 

荒れた竹林を何とかしようということから始まったようです。

手に取った瞬間肌触り、手にしっくりいく、目から鱗でした。
近くで見ていた方も、内家に竹があってコマットル!
作って見たいな~とおっしゃっていました。
地域に広がるといいですね。

友人と図書館に行って、展示を見ながら収穫ありました。

花たちと関わる人生の・・・話

2013-09-12 11:31:23 | 
花たち



しばらく会わなかった友人から電話を頂いた。
玉すだれが咲いたので写真に撮ってほしいという。
彼女にとっては妹さんとの思い出の花であるという。
写真を撮っている間もいろいろ話してくださる・・・。
どう撮ったら良いか伺う隙もなく、話が続く。
妹さんのことを伝えたいが、経歴があるから「これを読んで」と
5枚にわたるご主人(S.氏)の書かれた文章を渡された。


妹さん(k)が10年前68歳で亡くなったという。
昨日は命日であったがお墓にも行けない、せめて思い出の花を
写真に収めておきたいと・・・。

経歴を見せてくださった。
「文武両道]の女子生徒としてI.高校でも語り継がれるほどというわが郷土の女性
第5回のインターハイ(全国)に走り高跳びに出場したという。
東京女子大に進み、商社勤務を経てAP通信社に勤務東京支局長秘書などを務め、
英語力、ビジネスセンスに磨きがかかり若手男性たちの目にまぶしく写り
1963年S.さんと結婚したという。
出産、子育て3人目の子供さんを出産直後から職業復帰
「ラボ・パーティ」のチューターとして言葉と交流の活動を広げた。
経歴はまだまだ国際交流JICA,(国際協力事業団一期生)趣味も多彩とある。
その後の活躍も目覚ましく海外旅行、語学の習得等々。

2003年に背中や腰に激しい痛みを感じ2月にすい臓がんであると発覚したという。
「何としても治ってみせる」と抗がん剤治療を開始、身内のみで元気応援団を結成
意に反して進む中、決して弱音をはかなかったという。

読ませていただいて素晴らしい方であったと推察できます。

このような姉妹、東京に看病に行ったとき、都会の同じような家づくりで
目標が玉すだれのある家であったという。

友人宅に玉すだれがあることは知っていたが
このような思い出の花とは知らずにいた。