MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯62 意味わかんないし…

2013年09月17日 | うんちく・小ネタ

 先日、通勤の山手線の中で女子高生たちがこんな会話をしていました。(細部は少し違うかもしれませんが…)

 「さっき、ホームでスマホいじりながら歩いてたらさあ、駅員が『ケータイ見ないで下さいね~』なんて言ってんのよね。意味わかんないし。」「…ってゆうかさぁ、きのうマツダ(←たぶん教師のこと)がさぁ 『授業中、ケータイ見てるなよぉ』なんて突然怒ってんだよねぇ。なに熱くなってんのって感じ。クラスのみんなも意味わかんないし。」

 普通の高校生のナマの会話はなかなかイマドキです。授業中に生徒が携帯をいじっているのを注意しただけで「意味わかんなーい」とクラス全員からに非難されるマツダも随分かわいそうな奴ですが、それにしてものこの「意味わからない」という台詞、最近やけに耳につくようになった気がします。

 聞いている限りのニュアンスとしては「理不尽だ」とか「納得できない」とかいうことなのでしょうが、それにしても、「お前ら、分からないことを威張りすぎだろ」と思わぬでもありません。

 分からなければ聞けば良いとも思うのですが、どうやら本人たちは別に「その訳を知りたい」とも思っていないようです。

 分からないことは分からないとしてスルーする。「わからないんだからいいや…」といった感じでしょうか。このやり取りを聞く限りでは、むしろ「わかるように話さないそっちが悪い。お願いするんなら分かるように言うのが当然だろ」という、若さならではの傲慢さがにじみ出ている感じがします。

 「意味わかんないし…」は、ふつう他人に共感を求める際に使う言葉のようです。「あなたも分からないでしょ。ほんとに変な奴だよね」と。そこで、「いや、僕にはわからないでもない」とか「それはお前の頭が悪いからだ」とかリアクションするのは最悪です。明日からは「空気の読めない奴」として「意味のわからない人」の方に分類されてしまうかもしれません。

 共感の中に生きる、それが今の10代だと言われています。「理解できている」「考えが似ている」という人間関係を基本にし、集団と考え方が異なる、集団から浮いてしまうことを極力避ける傾向が強いのだそうです。そう考えれば、「意味のわからない人」イコール「仲間ではない関係のない人」イコール「どうでもよい」「無視・放置」というこの考え方にも、あながち違和感はないのかもしれません。

 また、現代の子供たちにとっては「意味がわからない」のは別に自分が悪いわけではない、という思いが強くあるのではないかとも思います。

 「私に分からせないあなたが悪い」「だって教えてくれてないじゃないか」… 自分に対する過剰な自信、自らの無謬性を疑わない純粋さは彼等の特権です。消費社会が徹底的に進んだ今日、どこに行ってもお子様はお客様として育ってきました。だからこそ、そのように扱われない要求は「意味わかんない」と突き離して終わりです。

 料理人や芸能、大工などの職人は「修行」の中で師匠や親方の芸を「盗む」ものだと言われてきました。そこには手取り足とりの説明はありません。厳しい下積み生活の中で「意味のわからない」不当な扱いもたくさん受けることでしょう。それでも、自分が「何も知らない」ということを知り、自分に求める気持ちがあれば、たとえ「意味のわからない」ことであっても素直に受け入れることができるのだと思います。

 「意味わかんないし…」 その言葉の持つ残念さは、自分の未熟さを知り、そしてそれを恥じ、自分で分かろうとするまではなかなか理解できないものなのかもしれません。


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