6月24日の日本経済新聞のコラム「グローバルオピニオン」に同紙編集委員の大林尚氏が、今後の人口問題の世界的な動向に関し「危ぶまれる持続性」と題するコメントを残しています。
国連の推計によると、現在およそ78億人と言われる世界人口は2050年にも100億人に達するとされている。コロナ危機で出生数が落ち込んだ国や地域は少なくないので修正は必要となろうが、世界レベルで見れば(少なくとも)これから半世紀程度は人口増の流れに大きな変化はないだろうというのが氏の認識です。
もっとも、人口は一律に増加するわけではない。ざっくりいうと、サハラ砂漠以南のアフリカは人口爆発、現在総人口2億人のナイジェリアは将来、中国、インドに次ぐ人口大国になる。欧州や北米は増減がみられない定常状態が続くと氏は見ています。
一方、中国をはじめとした東アジアでは、間もなく人口の収縮期に入ってくる。中国ばかりでなく、日本、韓国と人口の減少に向けた動きは大きく加速していくと氏は言います。
人口減で一国経済の成長が鈍化する中、こうした国々では「一人当たりの所得」の向上を目標にすべきだという考え方があるが、生産年齢人口の縮小と高齢人口の拡大は、国の財政と社会保障の持続性をむしばむ可能性があるというのが氏の懸念するところです。
南北、東西の人口バランスが大きく動く中で「21世紀はアジアの世紀」といったこれまでの勢いは失われ、気が付けば経済を中心に東アジアは衰退の道を歩むことになるのか。こうした予想に対し、元英国金融サービス機構長官でエネルギー移行委員会議長を務めるアデア・ターナー氏が6月24日の同紙に、「人口減少のプラス面に着目を」と題する論考を掲載しています。
人口の減少は悪いことに違いないというのは、幅広くみられる「型にはまった見方」だと、ターナー氏はこの論考で厳しく否定しています。
人口が安定した後に減少すれば、絶対的な経済成長率は低下するかもしれない。だが繁栄と経済的機会にとって重要なのは、国民1人当たりの所得だろうと氏は言います。教育を受けた女性が、「経済ナショナリスト」の気分を良くするために子供を産む必要はなく、実際、人口の安定や減少が国民1人当たりの経済成長を脅かすという議論は誇張されたもので、間違っているケースも多いということです。
人口が増加しなくなると退職者1人当たりの労働者が減り、国内総生産(GDP)に占める医療費などの比率が上昇するのは確かだが、上昇分は、人口増加を支えるためのインフラや住宅への投資の必要性が低下することで減殺される。無駄をなくし、ハイテクなどへの支出を増やせば、人口が減少しても繁栄を続けられるというのが氏の指摘するところです。
一方、世界の人口が安定しやがて減少に転じた場合、気候変動を回避するための温暖化ガスの排出削減が容易になる。労働力の縮小は企業の自動化の誘因となり、実質賃金は上昇すると氏は言います。
一般市民にとっては、絶対的な経済成長よりも賃金増加のほうが重要で、技術によって自動化される仕事が増えれば、より大きな問題は、潜在的な労働者の数が多すぎること。決して少なすぎることではないというのが氏の認識です。
私の予想が現実化すれば、人口の減少は徐々に進むのではなく、(場合によっては)一気に加速するだろうと氏はこの論考で話しています。韓国の出生率がこれから先も上がらなければ、人口は現在の約5100万人から2100年には約2700万人に減少し、退職者と労働者の流れはどれほど自動化を進めても相殺できなくなるという分析もあるということです。
複数の調査によると、こうした(日本や韓国などの)出生率が極めて低い国では、多くの家族がもっと子どもを持ちたいと考え高い不動産価格や託児所の不足などが障害になっていると氏は説明しています。
こうした場合、政策立案者は、夫婦が理想とする数の子どもを持つことをできる限り可能にするような対策を検討すべきであり、それがなければ(結果として)国民一人当たりの所得の増加も見込めないというのが氏の見解です。
確かに、人口の急激な変動は社会に大きなひずみを生み、特に少子高齢化の過程では社会保障の維持や労働力の確保に、ショックを和らげるための緩衝的な対策が求められることになるでしょう。しかし、いったん安定してしまえば、(実際、小規模でも豊かな国というのはたくさんあるのですから)国としての人口規模自体に大きな意味があるとも思えません。
結局のところ、(政策によって一定の調整はできたとしても)社会が成熟すれば長期的には人口は減少していく。世界中で人口が爆発するよりも、(むしろ)早く人口が減ったほうが人々にとってよい結果をもたらす可能性は高いと記すこの論考におけるターナー氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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