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高負担・高福祉で知られる北欧の社会保障制度。中でも中心国であるスウェーデンの福祉や医療に関する諸制度は、日本でも、先進的な政策モデルとして取り上げられることが多いようです。
例えば医療制度に注目すれば、スウェーデンの医療制度は(いわゆる)ナショナル・ヘルス・サービスであり、公的な制度が直接的に医療サービスの大部分を提供しているところに特徴があります。
実際、医療費の個人負担額には上限(一人当たり年間900クローナ(約12,000円))が定められており、それ以上は公費負担が原則です。また、公立の病院や診療所、薬局などが直接医療を担っており、その費用の大半が(医療保険ではなく)税金により賄われています。
このため、スウェーデンの医師はその多くが公務員で、医師総数約29000人のうち民間の医師は4000人と全体の約14%に過ぎないということです。さらに診療費用では、社会保障財政から支払われた支出のうち民間の診療機関に支払われた比率は、スウェーデン全国の平均で7.3%とされています。
それでは、彼の国の医療サービスは、具体的にどのような形で国民に提供されているのか。
一般的な例でいうと、「ホームドクター制」をとるスウェーデンでは、まず住民登録をした段階で各人に自治体の医師の中から自動的にホームドクターが選ばれるということです。
そして、病気やケガをした場合には、(原則)各地域の保健所にコンタクトを取り、保健所を通じてホームドクターの(診察の)予約を取ることになる。つまり、個人が勝手に病院に押しかけても診察してもらうことはできず、(緊急でない場合は)診察までに数日を要することもあるということです。
また、ホームドクター以外の総合病院などに受診する場合は診療所の紹介が必要とされ、こちらも患者本人の意向だけでは如何ともしがたい状況があるようです。
社会保障全体の考え方や国民性の違いはあるでしょうが、こうした(個人の費用負担は小さいが選択の幅の狭い)スウェーデンの医療が、欧米先進諸国11か国を比較した英国のコモン・ウェルス・ファンド2014において英国、スイスの次に位置する第3位という評価にとどまっているのも事実です。
8月8日の「厚生福祉」(時事通信社)では、そんなスウェーデンの医療制度について、元・駐スウェーデン特命全権大使の渡邉芳樹氏が大変興味深い解説を行っています。
渡邉氏はこの論評において、スウェーデンの医療制度は患者負担、公平性、効率性においては優れていても、アクセス、効果、連携、患者中心度では他の先進諸国に比べ大いに劣っていると指摘しています。
日本との比較においても、彼の国の医療は決して患者に優しいものとはなっていない。なぜ、これほどまでに医療へのアクセスを制限するのか。なぜ、現場の医師までがコストとアクセスとクオリティのバランスを重視するのか。
長い夏休みや非番の徹底など、なぜここまで医師のQOLを重視するのか。そして、なぜ国民はこれを我慢しているのかなど、基本的な疑問に答えるには人と社会の原点にまで遡らなければ説明は難しいと渡邉氏は言います。
20世紀後半のスウェーデンは、「例外の国」「モデル国家」などと呼ばれ、広く先進諸国の目指すべき高福祉を体現した国家としてリスペクトされてきた。大国もスウェーデンに学べと躊躇なく言う「大きくて小さな国」だったということです。
そんな彼の国も、今やEUの一員として「普通の国」となった。しかし、渡邉氏は、その国民性は当時と大きく変わっていないとしています。
氏によれば、欧州北辺の地に生きるスウェーデン人の本質は「自律(立)と平等」にあるということです。
現首相のステファン・ロヴェーン氏も、「男女の別なく自らを教育し、働き、納税し、他者の権利を尊重し、その上で自分の権利を実現せよ」と述べているように、社会への信頼と過剰なまでの個人主義を真髄とするのがスウェーデン人の気質の背骨に通っている。
他者に奉仕する「ボランティア」は原則認めない。お互いに頼りあわず、不平等な力関係に身を置かないところに真の愛や友情が生まれる。そして、これこそが家族の近代化であり、個々人の力を最大限に発揮させ社会の荒波を乗り越えさせると彼らは信じているということです。
このような徹底した個人主義の下、スウェーデンでは医療や福祉も対等な当事者関係を基本としていると渡邉氏は重ねて指摘しています。
このため、患者が医師の勤務条件を尊重、我慢することは自律と平等の原則にかない、医療の質を高めるという国民の合意がある。高齢者が毎日のように様々な病院に通い、医師が疲弊しながらも患者に奉仕する日本の医療現場を、スウェーデンでは想像すらできないだろうということです。
確かに、こと医療という面に目を向ければ、日本とスウェーデンでは(患者も医師も)まさに両極端にあるのではないかと考えられます。
どちらがより正しい姿かは別にして、国民性の違いによって医療制度のあるべき姿も大きく変わって来るということを、私も氏の論評から改めて認識させられたところです。
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