MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2470 必要なのは問いを立てる力

2023年09月23日 | 教育

 教育サービスを提供する「ベネッセコーポレーション」が、自動で文章を作る生成AIを活用し、小学生の夏休みの自由研究を支援するサービスを始めることになったと多くのメディアが伝えています。

 夏休み期間を前に7月25日から小学生向けに無料で提供を始めたのが、パソコンやスマートフォンで自分の興味や関心があること文字で入力すると、生成AIが研究のテーマや調べ方についてアドバイスしてくれるというサービスとのこと。

 実際には目的外の利用を避けるため、自由研究以外に使ったり不適切な言葉を入力したりすると注意のメッセージが出されるほか、子どもが自分で考えながら利用できるよう一日の質問回数に制限を設けるとされています。

 読書感想文やら朝顔の観察記録やらが一番苦手だった我が身を振り返れば、自分が小学生の頃に(生成AIのような)こんな便利なものがあったならどんなに良かっただろうと心から思いますが、あったらあったで大変なこともあるのでしょう。

 人と同じにはならないように(少しは差別化)しなければならないし、先生に質問された時には何か答えられるようにしておかなければならない。何より(AIに頼ったことを)親や先生に見つからないように細かく気を使わなければなりません。

 結果はコンピュータに任せればよいとしても、人は人で考えなければいけないことがそこかしこにありそうな感じ。さらに、もしも生成AIを生徒全員が使うようになったら、「何をやるのか」というそもそもの発想や問題への興味・関心の度合い、疑問を突き詰めていく執念みたいなもので差がついていく…ということになるのでしょう。

 そんなことをつらつらと考えていた折、7月11日の日本経済新聞のコラム「経済教室」に、東京大学教授の柳川範之氏が(生成AIの普及を見据え)「問われるのは『問う力』」と題する一文を寄せていたので、その概要を小欄に残しておきたいと思います。

 生成AIの登場によって世の中は大きく変わるといわれているが、生成AIが今後さらに発達・普及していった場合、必要とされる人間の能力とは何かについて考えてみたいと氏はこの論考で問いを立てています。

 もしも、2人の経営者が、完璧に質問に答えてくれる同じ生成AIを使うことができたら、両者の差はどこに表れるだろうか。それは当然、どのような質問をAIに投げかけるのかで決まってくると氏はこの論考に綴っています。

 どのような問いかけをするか、どんな情報をAIから引き出そうとするかで、返って来る結果は大きく違ってくる。言い方を変えれば、「質問をする力」「問いを立てる能力」こそが、生成AIが発達した時代に必要とされている能力だというのが氏の見解です。

 そう考えれば、「どこまで斬新な質問ができるか」「どこまで深掘りの質問ができるか」は、今後の知的作業の多くの部分を占めることになるだろうと氏は言います。「問いを立てる能力」が問われているのは、もちろん、生成AIを活用するときばかりではない。これからの人材に求められるのは、与えられた作業をこなすだけではなく、それぞれの持ち場で、創意工夫を行っていく能力と意欲だというのが氏の指摘するところです。

 それが今後のイノベーションや付加価値生産性の高まりにつながっていく。その基礎となるのが、「問いを立てる能力」だと氏は言います。

 その点では、学校教育も大きな岐路に立っている。もちろん、生成AIをどこまで生徒や学生に使わせるべきかというのは(足元で浮かび上がっている)大きな課題だが、より重要で深刻な問題は、問いを立てる能力をどうやって育てるかだというのが氏の認識です。

 学校教育においては、伝統的に教師が問題を出題し、生徒がそれに答えるというスタイルがとられてきた。しかし、その能力(=問いを立てる能力)を大きく育てようとすれば、生徒の側が積極的に課題や問題を考える方向性に大きくかじを切る必要が出てくるだろうと氏は話しています。

 そこでは、それぞれの分野について、関心を持ち好奇心を失わせないことが不可欠となるだろう。関心がなければ、何かを深く考えようとしないだろうし、問いが湧き出てくるようなこともないということです。

 それに加え、出てきた答えに対して(簡単に)納得しないクセというのも重要だろうと氏はしています。伝統的には教師が伝えた「正解」を、生徒や学生は素直に受け入れて、覚えるという教育スタイルがとられてきた。しかし、これではなかなか新たな問いは生まれにくい。誰が言おうとその答えに安易に納得せず、突き詰めるクセをつけさせることが、教育の現場では重要だということです。

 問いがまずあって、それに対する模範解答を導き出すだけであればAIでもできる。そんな環境で人が行う意味があるのは、そもそもの問いをどこに求めるのか、そして出された(標準的な)答えを疑い突き詰めていくことということでしょう。

 これまでのような(「正解」「不正解」と答え合わせができる)テストでは必要なスキルは手に入らない。これは社内教育においてもリスキリングにおいても、とても大事なポイントになるのではないかと考える柳川氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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