MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯969 トーベ・ヤンソンとムーミントロール

2018年01月16日 | アート・文化


 今年行われた大学センター入試の「地理B」の問題に、『ムーミン(Moomin)』の舞台に関する問題が出題され話題になっています。

 ムーミンは、スウェーデン系フィンランド人の女流作家トーベ・ヤンソン(Tove Jansson、1914~2001)が創作したキャラクターで、一般にはスウェーデン語で書かれたフィンランドの作品として知られています。

 しかし、ヤンソン自身はこの物語について「フィンランドが舞台」かどうかは明らかにしておらず、実際、スウェーデン大使館のフェイスブックには「ムーミン谷のモデルになったのはスウェーデン群島にあるブリード島です」との記述もあるということです。

 ツイッターでは「ムーミンの舞台はフィンランドじゃなくて(あくまで)ムーミン谷」といった書きもみも多くなされているようですが、確かに物語に描かれたムーミン谷は(「おさびし山」のふもとに広がる)無国籍で少しアナーキーなワンダーランドの印象です。

 そこにヤンソンが生み出したのが、架空の主人公「ムーミントロール」。トロールは北欧の民間伝承に登場する広い意味での妖精の一種で、(人間の目には見えないものの)人間によく似ていながら耳や鼻が大きく醜い外見を持つとされています。

 ムーミン谷には、彼らムーミントロールの外にも、人に似たミムラ一族の「ミー」やツチブタのような見た目の「スニフ」、孤独を愛する旅人「スナフキン」、大きな群れで永遠にさまよい続ける物言わぬ生き物「ニョロニョロ」など様々な妖精が仲良く暮らしているということです。

 トーベ・ヤンソンが描いた、このような(ある意味淡々とした)独自の世界観は一体どこから生まれたのか?

 1月14日のYahoo newsでは、ライターで編集者の石田雅彦氏が「パイプタバコとムーミンのパパ」と題する記事においてその背景に触れているので、備忘の意味でここにその内容を書き留めておきたいと思います。

 ムーミンと作者のヤンソンを理解するためには、まずフィンランドという国を知らなければならないと石田氏はしています。

 そもそもフィンランドとは、「フィン人」の国を指す言葉。モンゴロイドのDNAを色濃く残す彼らはヨーロッパの中でも特異な言語を持ち、その特徴は「恥ずかしがりや」にあると言われています。

 石田氏によれば、フィンランドは(そもそも)ナポレオン戦争のころまで国としては存在しておらず、独自の文化を保ったまま約650年にわたってスウェーデンの属領だった地域だということです。

 その後、帝政ロシアの属国として形ばかりの独立を勝ち取りますが、フィンランド大公はロシア皇帝であり、実質的にはロシアの植民地だったという過去を持っています。

 しかし、帝政ロシアが革命で滅亡すると、フィンランド国内の保守派はフィンランドの赤化を恐れたドイツ帝国とスウェーデン王国の支援を受け「フィンランド王国」として独立。その後、左右両派を巻き込んだ内戦を経て第一次世界大戦後の1919年に王政を廃し、フィンランドは共和国として現在まで続いているということです。

 フィンランドは、独立後も隣接する強大な旧ソ連から圧力をかけられ続けたことから1939~40年には旧ソ連と戦争を行い、続く第二次世界大戦でもナチス・ドイツ側について旧ソ連と戦った歴史を持っています。

 しかし、1944年には休戦して反転、対独戦争の火ぶたを切るなど、東西両陣営から一定の距離を置く絶妙な外交戦略を駆使して冷戦時代や旧ソ連崩壊後を乗り切ってきたと石田氏は説明しています。

 こうした歴史から、フィンランド国内には(現在まで)、社会民主的な穏健左翼主義が一貫して流れていると石田氏は言います。ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンは、こうした歴史にもまれながら、母国語ではなくスウェーデン語を話す彫刻家の父とイラストレーターの母の間にヘルシンキに生まれたということです。

 フィンランドは北欧の中では保守的で伝統的な価値観を重んじる国ですが、ムーミンパパやムーミンママの生活ぶりに見るように、ヤンソンの中にもそうした伝統的・保守的な傾向が垣間見えるというのが石田氏の認識です。

 ヤンソンの表現は、当時のフィンランドで主流だった左派的な思想とは一定の距離を置いた穏やかなものだった。そして、こうした(地域性に根付いた)保守性が故に、彼女の作風はフィンランド国内の左派から批判され、その表現芸術は長く正当に評価されなかったということです。

 実際、スウェーデン語で書かれたムーミンなどの文字表現はフィンランド国内でなかなか受け入れられず、(また子ども向けではないと批評され)彼女の作品は長くヘルシンキ美術館への収蔵を断られたりしてきたと氏は指摘しています。

 一方、石田氏によれば、ムーミンに描かれる世界観はどこか非現実的で、ミシェル・フーコーが唱えた「ヘテロトピア(現実の中にある異次元的アンチ社会空間)」ではないかと指摘する研究者もいるということです。

 確かに、ヤンソンによって描かれたムーミン谷の不思議に現実離れした光景には、現実の社会生活などから隔絶された絶対的な孤立感のようなものを感じることができます。また、そうした世界観の象徴とも言える、自由と孤独と音楽を愛する永遠の旅人スナフキンに対し、そのボヘミアン的な生き方ゆえにあこがれる現代人も多いようです。

 同様に、彼に憧れ、彼を慕うムーミンは、いずれはこの閉ざされたムーミン谷を離れ遠い世界を見てみたいと夢見る(無力な)少年として描かれています。

 保守的な温かい家庭で伝統的な生活を営む(家族や谷の友達たちと楽しく暮らす)優しい少年は、それがゆえに、孤独な青年スナフキンの殺伐としたアナーキーなキャラクターに惹かれ、彼と共にどこか別の世界へ旅立つことを求めているということでしょうか。

 センター試験の正解は(たぶん)「フィンランド」でしょうが、そこに描かれたムーミン谷は、(もしかしたら)ヤンソンの心の中にある家族と暮らした生活や、一つ一つの思い出そのものなのかもしれません。

 そして、恥ずかしがり屋のムーミンを遥かな旅へといざなうスナフキンは、大戦後のフィンランドの若者に大きな影響を与えた(実存主義やシュールレアリスムなどの)西ヨーロッパ世界の新しい思想そのものだったのではないかと、石田氏の論評から私も改めて感じたところです。



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