MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯308 「現代アート」って何?

2015年02月26日 | アート・文化


 1月29日の「BOOKSTAND」(Web本の雑誌)では、真面目で几帳面な日本人にとっては極めてとっつきにくい存在である「現代アート」の価値を理解するための第一歩について、興味深い解説を試みています。

 記事では、例えば男性用の便器をひとつの作品として展覧会に出品したマルセル・デュシャンの「泉」や、女優マリリン・モンローの肖像画やキャンベルのスープ缶を克明に描いたアンディ・ウォーホルなどについて、「これをどう解釈したらいいのか分からない」「どこがすごいのか判断できない」と悩む日本人が多いのではないかとしています。

 一見、「芸術」という言葉が紡ぎだすイメージとはかけ離れた存在のように見えるこうした「現代アート」は、普段の物事への見方に対して新たな視点を投げかけたり既存の価値を疑ったりと鑑賞者に多くのメッセージを発しているという点において、実はどの作品にも共通した訴求力があると記事は指摘しています。

 多くの優れた現代アート作品は、見る人に「この作品の存在する意味」を一緒に考えてほしいというメッセージを託している。逆に言えば「どうして自分はこの作品を美しいと思えないのだろう」「どうしてこの作品の価値が分からないのだろう」という腑に落ちない不安な感覚を鑑賞者に与えること自体が、現代アートの存在する意味のひとつではないかと筆者は考えています。

 アートは、鑑賞する人、読む人がいてこそ初めて完結し、成立する。アーティストの息づかいが感じられる作品と、その作品がもたらす空間の変化や不思議さを体験することが、その存在を「アート」とすることができるたったひとつの条件ではないかというのが、この論評の眼目です。

 ひと口に「現代アート」と言っても、絵画、彫刻からダンス、パフォーマンスまで、アーティストによりその表現方法は千差万別です。

 シンガポールビエンナーレ(2006)などを監修するキュレーターのロジャー・マクドナルド氏は、日本経済新聞社が刊行した「現代アート入門」(2012.4.5)において、こうした「現代アート」の特徴を「歴史や社会、人の生き方を含めて問いかける『同時代性』にある」と定義づけています。

 例えば、現代アートの父と呼ばれる先に述べたマルセル・デュシャンは、工業製品である男性用小便器をオブジェに見立てることで、「古典的な美」という規制の概念(権威)に疑問を投げかけました。

 現代アートのアーティストたちは、このように「芸術」がそれまで纏ってきた崇拝されるべき権威としての固定観念を打ち壊し、日常の空間や経験の中に取り入れることで鑑賞者に様々な驚きや発見を提示しているということです。

 こうして「現代アート」はオブジェや絵画だけでなく、アイディアや言葉という非物質的な領域にまで拡大し、脳内のイメージデータベースに刺激を与える存在に拡張してきたとマクドナルド氏は述べています。

 その一方で、現代アートは「ビジネス」の世界でも注目されるようになっており、特にクリエイティブなビジネスの現場では、仕事や職場にアートを取り入れることが想像力の増進に繋がるものとしてその効用が期待されているということです。

 また、企業ばかりでなく、街づくりや地域おこしの領域においても現代アートは欠かせない存在となりつつあります。実際、現代アートは世界中からアーティストや観客を呼び込むと同時に、地域に暮らす人々を活性化させてきた経験則から、外に向けて開かれた地域社会を創造するためのツールとして活用されつつあります。

 マクドナルド氏は、現代アートには、社会をクリエイティブに変貌させ都市に付加価値を与える力があると指摘しています。そしてこのことは、私たちの心の中にアートを見る喜びや感動が根源的に存在していることを示唆しているということです。

 中高年を中心に、現代アート(の良さが)が「よくわからない」という声をしばしば耳にします。しかし、実はアートを「印象的なもの」として選び取る感性は、有史以前の昔から私たちの生活の中で紡ぎこまれているものなのかもしれません。

 例えば日常的に来ているTシャツのプリントを、私たちが何を「基準」に選んでいるのかを考えれば解り易いかもしれません。

 誰でも一枚や二枚、気分が良い時に着たくなる「お気に入り」のTシャツがあるはずです。

 好きなデザインやインパクトのある色、柄、主張など身近に置くことで得られる高揚感。こうした気持ちが生まれてくるのは、私たちが既にそうした表現そのものを、自分にとってかけがえのない、大切なものとして認識していることの証左ではないかと感じるところです。

 かつて、日本を代表する現代アートの巨匠岡本太郎は、テレビカメラに向かって「芸術は爆発だ」と叫びました。

 戦後の復興から高度成長にかけての社会のパワー背に受けながら、それに対抗するアンチテーゼを全身で表現した岡本との同時代性を、吹田市の千里丘陵に今も残る「太陽の塔」が持つ存在感に感じる世代も多いのではないでしょうか。

 何故かはわからないけれどどうにも気になる。人の心を「触発」し活性化させる…そうした不思議な存在を現代の人々は「アート」と呼んでいるのかもしれないと、私も改めて感じたところです。





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