かなり地味な事件ですが、9月1日、東京都豊島区に住む68歳の男性が、自宅のある豊島区と、もう一軒生活拠点を持つ北区に対し生活保護費を二重に申請し不正受給したとして警視庁に逮捕されたとの報道がありました。
容疑者は東京・北区から生活保護費を受給していたことを隠して豊島区に申請を行い、被害額は12年間で実に2000万円に及ぶとされています。生活ぶりを確認する区の職員(ケースワーカー)が家庭訪問する日時にあわせてそれぞれの自宅で待ち受け、不正が発覚しないようにしていたということです。
また、同日、大阪府警は、生活保護費を不正受給したとして、大阪市中央区の政治団体「政治結社祖國防衛隊」幹部を詐欺の疑いで逮捕したと、大手メディアが伝えています。逮捕容疑は令和3年12月から4年5月にかけて、伯母の口座から計約20万円を出金し収入を得ていたのを隠し、生活保護費約72万円を詐取していたということです。
物価高、新型コロナウイルス禍が暮らしに影響する中、生活保護費に関しては、現在、厚生労働省による5年に1度の見直し作業が(年内決定に向け)本格化しています。今回、見直その対象となっているのは、支給額のうち食費や光熱費などに充てる「生活扶助」の基準額で、一般低所得層の消費との不公平感の是正が課題となっているようです。
消費者物価の高騰による低所得世帯の生活苦が指摘される折、非受給世帯との均衡も重視され難しい判断となることが予想されていますが、一方でこうしした不適切な受給者が後を絶たないことは、制度への理解の逆風ともなりかねないところです。
巷にあふれる「自己責任」の合言葉の下、難しい立場に置かれている生活保護行政。損・得に厳しい世間の声に、保護費を受ける方ばかりでなく、支給する立場の行政サイドにも様々な苦労があるようです。
4月21日の情報サイト「Wedge ONLINE」に、高千穂大学教授の大山典宏氏が「生活保護行政はなぜ、叩かれるのか」と題する一文を寄せていたので、(参考までに)この機会に紹介しておきたいと思います。
利用者からも、市民からも、役所の別部門からもクレームが寄せられ、無理な対応を要求されるケースワーカーの業務。こうした実態は自治体職員の間でも広く共有されており、収税や用地買収、産業廃棄物対応などと並んで、生活保護業務は(人事異動の際の)不人気部署ランキングの常連だと氏はしています。
調査研究では、生活保護の担当者は他部署に比べてメンタルヘルスに課題を抱えている職員の割合が多いことが明らかにされている。なぜ心を病むケースワーカーが多いかと言えば、それは何といってもその「虚しさ」にあるというのが、この論考における大山氏の見解です。
「困った人たち」は行く先々で迷惑をかけ、関係者の神経を逆なですると氏は言います。
家賃を滞納して不動産会社や大家を困らせる。騒音や悪臭で近所の人の生活を乱す。病院の窓口で大声を出して窓口職員を泣かせる。収入をごまかして生活保護を利用していることを友人や知人に自慢げに吹聴する。迷惑をこうむった関係者から、「生活保護だから」という理由で役所(担当ケースワーカー)にクレームが寄せられることは決して珍しいことではないということです。
家賃滞納や騒音や悪臭、窓口でのハラスメント行為などは、本来、(「民=民」の問題として)本人に直接改善を求めるべきもの。しかし、関係者は口を揃え「本人に言っても駄目だから、役所に言っているのだ」と訴えると氏は話しています。
時には広報公聴部門や市長への手紙といった形で上層部に声が届けられ、「しっかり対応しろ」というお達しが来たりする。そこで適切に対応できるかどうかが役所内での評価に直結するため、「何とかしろ」というプレッシャーが担当者に重くのしかかるということです。
一方、監査でチェックされるのは「不適切な支出が行われていないか」が中心で、「必要な人をきちんと救うことができているか」という視点から判断されることはほとんどない。役所内での評価という点でいえば、「なるべく保護費を出ない」という対応が最適解だというのが氏の指摘するところです。
故に、住居喪失者の立場に寄り添った対応を採ることは、担当者にとって一連のリスクを引き受けることを意味する。住まいのない人の相談を受けても相手の話を全面的に信用することはできず、自己保身の道を探しながらの対応を余儀なくされるということです。
人権保障の視点から生活保護行政を批判する人は、「なぜ困っている人に寄り添った対応ができないのか」「なぜ、傷ついた人をさらに鞭打つような質問を重ねるのか」「人にはそれぞれ事情がある。その事情を踏まえて対応すべきである」と行政を批判する。
一方、不正受給を許せないと批判をする人は、「生活状況を把握できない人に保護費を渡すなんてとんでもない」「連絡をせずにいなくなったのは、本人の責任。考慮する余地などない」と断じてくると氏は言います。
こうした言葉の狭間で、「よき公務員でありたい」と思う真面目な新人職員ほど傷つき、心を病むことになる。孤立し、追い詰められたケースワーカーの苛立ちや怒りは、結局のところその原因となる(いかにも「ちゃんとしていない」利用者に向かうというのが氏の認識です。
幸いにして、批判するに足る特性をもつ利用者には事欠かない。「無駄な税金の支出を抑えて、『本当に必要な人』にだけ保護費を渡すのがよい公務員である」と自分の仕事を定義づければ、無駄に悩む必要もない。こうして弱い立場にある者が、更に弱い立場の者を責める構造ができあがるということです。
生活保護は、現実に人の生き死に直結している。なので、「最後のセーフティネット」といえば聞こえはいいが、建前を外せば、人の最も嫌な面を毎日のように見ることになると氏はこの論考に記しています。
そうした中、ケースワーカーは、人権保障と不正・不適正受給の防止という矛盾する二つの政策目標の両立を迫られ、正解のない問題に対して、それぞれが何とか折り合いをつけなければならない。そしてその他多くの人たちは、彼らに苦悩を押し付けて、ただ貧困の実態から目をそらしているだけだと言えるかもしれません。
「現状を変えたい」「困っている人に寄り添う行政でありたい」―そう願っている行政の担当者は少なくないと氏はこの論考の結びに綴っています。
それを見極め、よい取り組みであれば正当に評価し、彼らを応援すること。ただ苦情を言ったり注文を付けたりするばかりでなく、各地域社会がそうあってほしい願う大山氏の指摘を、私も重く受け止めたところです。
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