涙と笑いのHIV奮闘記II

自分とは無関係と思っていた病気の闘病を続けるオヤジの日記。
歳のせいか治療の副作用のせいか忘れ物がひどいんです。

大和文華館と奈良国立博物館をはしご

2016-08-21 16:00:00 | 美術館・博物館

さて、今日は何をしようかな、と思っていると、
旧友から電話があって、今日最終の大和文華館での「鉄斎展」と、
今日、前期最終日の奈良国立博物館での「忍性展」へ一緒に行かないかと。

とりあえず学園前駅で待ち合わせして、大和文華館へ。

この暑い中大和文華館まで歩くのはかなり大変。
基本的に駅からは下り坂なんやけど、入り口から美術館までは上り坂なんですよね。

入り口の広告。

 

今回のちらし。

  


 2016年は、近代日本を代表する文人画家・富岡鉄斎(1836-1924)の生誕180年にあたります。
大和文華館には60点ほどの鉄斎作品コレクションがありますが、その中核となっているのが、愛媛・松山市三津浜の近藤家旧蔵品です。
鉄斎と近藤家は40余年にわたる長い交流があります。
近藤家は折りにふれ、鉄斎に地元の海産物を贈り、鉄斎はその返礼として作品を描いて贈りました。

 鉄斎の妻ハル子は愛媛の出身で、その縁もあってか鉄斎は明治六年にこの地を旅して三津浜の旧家の石崎家を訪れています。
近藤家当主の文太郎氏は、石崎家の番頭を務めており、鉄斎と知り合ったのはこのころでしょう。
その後も何度か石崎家を訪問する中で、鉄斎は所持実務の労を取った近藤文太郎の律儀な人柄を信用するようになり、
親交を深めていったと考えられます。毎年近藤家からは中元や歳暮にことよせて、名産の鯛や海老、竹輪が届けられました。
送られた鉄斎は自筆の礼状をしたため、時には贈り物のスケッチを添えて近藤家に送っています。
明治三七年の「伊勢海老図」、大正四年の「鮮魚図」などがそのような作品です。
本展では50歳から87歳にかけて近藤家に贈られた作品を出陳します。
展示を通じて、鉄斎の画歴の変遷をたどり、その篤実な人柄を感じとっていただければ幸いです。 

ちらしより

 その鮮魚図。

 

自画像ともされる漁夫図。

あまりに暑かったのでタクシーで学園前駅まで戻って、近鉄で奈良駅まで。

奈良駅近くの居酒屋でランチをいただきました。

 

これは友人がおごってくれました。

そこから市内循環バスに乗って国立博物館まで。

「本当に普通に鹿が普通に歩いているんだ~」と関心しきり。

 

博物館の東側にはキョウチクトウ。

 

奈良国立博物館。

 

その前の池の蓮。

 
 

今回は館内で上映されている短編の映画を二つとも観てきました。

友人は後期はこれないかも、ということで、東征伝の短編映画とタブレット端末で今回展示されていない、各巻物の後半部を熱心に観ていました。

近鉄奈良駅へ戻るバスを待っていると、そのバス停から大仏殿の屋根。

バスを待っていると、興福寺に寄ってみたいということで、歩いて興福寺へ。
国宝館を訪れ、五重塔と三重塔を訪れ、南円堂にお参りして、近鉄奈良駅まで。
途中、小西さくら通りのドトールコーヒーで一服してから駅へ。

友人は京都行き特急に乗るということで近鉄奈良駅で別れました。

結構歩いたように思いますが、6400歩でした。

夕方ちょっと離れたスーパーまで歩いて買い物に行くと8000歩~10000歩になるかなぁ。 

買ってきた絵葉書。東征伝絵巻の一部分です。



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