谷あり谷あり。

鬱と自律神経失調症と若年性更年期障害とパニック歴15年です。それでも何とか一児の母やってます。

100日。

2015-03-14 17:38:38 | お薬
息子は無事に100日を迎えた。




首も座ってきて1週間位前からぐんと泣く事がへった。


約2ヶ月、毎日毎日朝から晩まで聞こえていた泣き声がしなくなった。


今はお腹が空いた時と寝ぐずりだけ。


あの泣き声が無くなっただけでこんなにも心穏やかに過ごせるとは。

息子が産まれてからの100日間、本当に本当に辛かったなぁ。


最近やっとほんのすこーしだけ気持ちに余裕が出てきた。


息子が泣いても前みたく焦ったり嫌な気持ちになる事が少なくなった。


息子は昼間泣くのが減ったかわりに夜はあまりまとめて寝ることが無くなって、今は3時間置きの授乳が夜中もある。

昼間泣きまくってた時は夜は疲れるのか夜は5~7時間寝る時があったが、3時間置きの授乳に戻った今の方が精神的にずっと楽だ。


それくらい子供に一日中泣き続けられる事は苦痛だった。


拷問だった。


朝息子の泣き声で目を覚ますと「あー今日も地獄のような1日が始まるのか」とズドーンと暗い気持ちになった。


泣き声でTVの音も聞こえない、誰かと電話しても何を言ってるのか聞こえない、下の階の住人にも謝りに行った。(幸いとても良い方で有難い)

旦那が帰ってきても息子の泣き声でまともに会話もままならない。

1日の終わりにはもう精神的に疲れ果ててぐったりだった。


いつまでこんな日々が続くのだろうか…このままだとどうにかなってしまいそうだと完全に育児ノイローゼになっていた。



それが段々と息子は1人で指あそびをしたりメリーを見て笑う時間が増えてきて1日中泣き叫ぶ時間が減ってきている。

さて100日。


ここまで順調に育ってくれている事に心の底から感謝し、また明日からも頑張ろう。



35w0d もう産んでもいいよ

2014-11-25 20:28:54 | お薬
里帰りして初めての産婦人科検診。




なんともう赤ちゃんが3100gを超えていた。

10日前の検診で2300gだったのに…いや若干の誤差はあると思うんだけどさぁ
本当にね、お腹が大きいんだよ。
とても予定日までまだ1ヶ月もある妊婦には見えないんだよ。


それで子宮口も1cm、子宮菅長も2cmなくて赤ちゃんの頭触れるよーと。

先生が言うにもう出したいねー
これだけ大きいならもう出ても全然産まれても大丈夫だけど正産期は37週だからあと2週間様子見て37wで出そうかーと。




とにかくガンガン動いてお腹張らせて、そんで陣痛来たり破水したらすぐ来て。
もう産まれても大丈夫だからと。


あと血圧が150あるので今日から降圧剤を飲んでそれで朝晩家で血圧測って130/90以下にならなかったら母子共に危険なんですぐに産みましょうとの事。




早く産みたいと思ってたけど、実際近づいてみると不安で不安で涙が出てきます。


あー、心臓バクバクするなー


でももうなるようにしかならないから腹くくるしかない。


もうね、体中の骨がミシミシいってるから限界なんです私。

昔話Vol.10 ~ひたすら眠る日々~

2014-07-22 13:17:54 | お薬



診療内科から新たに薬を貰ってきた私は、その薬を飲んで1日中延々と寝て過ごした。

その当時は
メイラックス
セルシン
パキシル

を飲んでいたように思うが、とにかく多幸感が半端なかった。
今までの数年間の苦しみはなんだったのかと思うほど頭の中が言い様のない多幸感で一杯で、ご飯も食べずに毎日こんこんと眠った。
余りにも眠るので周囲の人間は心配してくれたらしいが、当の本人は久しぶりに訪れた心休まる幸せな時間だった。

何をどうしたって眠れず、毎日毎日死にたいという気持ちでギリギリ生きていた私にとって寝ても寝てもまだ眠れるという事は何物にも代えがたい幸せな時間だった。

今日が何曜日で世間では何が起こってるのか分からなかったし別に分かりたくもなかった。
一生このままでも良いと心底思っていた。


しかし、薬というものはだんだん耐性がついてくるもので一ヶ月も経つと次第に眠気も薄れ頭の中もクリアになってきた。
周囲の人は喜んだが私としては非常に残念な気分だった。

あーまた苦しい現実に引き戻されてしまった…。

昔話Vol.8 ~鬱病編~

2014-07-09 14:45:30 | お薬


そしてそんな生活が何とその後、5年あまり続いたのである。
23才から27才までの5年間。


女として一番楽しいであろう時期に私は布団の中で死ぬ事ばかり考えて過ごしたのである。

その間、たくさんの友人に心配してもらったが症状は一向に良くならなかった。
ある友人は「家にずっといるからおかしくなる」と言ってドライブに連れてってくれたりもした。
ある友人は整体の資格を持っていてアロママッサージをしてくれたりもした。
ある友人は何時間も電話で私の愚痴に付き合ってくれたりもした。


それでも、私の症状は変わらなかった。
毎日毎日悪夢を見ては死ぬ事ばかり考えて過ごした



5年の間に借金まみれだった我が家も住み処を転々としていた。
両親は相変わらず毎日のように怒鳴りあいをして生活は荒んでいた。
両親はそちらの事で頭がいっぱいで私が患ってる病気に関してはほとんど関心を示さなかった。
私は長女で小さな頃から悩みを親に打ち明ける事はほとんどなく育ってきていた。
5年も寝たきりで死ぬ事ばかり考えて過ごしていても、やはりそれは変わらなかった。
だからその時の両親は私の事を「よく分からないけど体調が悪いみたいでずっと部屋に籠っている」という感じに思っていたようだ。
それよりも日々の生活に追われてそんなところじゃなかったのだろう。

そんな折り、悪い事は重なるもので弟が仕事中の事故で意識不明で危ないと電話が入った。

それを機に我が家の状況は一変する。
意識不明だった弟は幸い意識は戻ったが首から下が全く動かなくなったのだ。
母親はパートを辞め、毎日のように病院に行き弟の世話に付きっきりになった。
数ヵ月のリハビリを経て何とか日常生活を送れるようにまで回復した弟だったがしばらくは我が家から病院にリハビリに通う事になった。
借金まみれの我が家が住んでるような家にそんな余分な部屋はない。
出ていくとなると私しかいない。
でも端から見たら弟の方が重体患者であるが、私だってまだ這いつくばって生活してる寝たきり患者なのだ。
本当に困っていたところ、親友が「部屋余ってるからうちに来なよ」と言ってくれた。
その親友とは今でもしょっちゅう長電話するくらい唯一無二の友である。
人に迷惑をかける事に罪悪感を抱えつつも、もう背に腹は変えられなかった。

私は甘えて親友の家に身を寄せる事にした。

昔話Vol.7 ~鬱病編~

2014-07-09 14:16:21 | お薬


1度自殺を決意したが祖父母の言葉を思いだし家に引き返してみたものの私には何の策も思い浮かばなかった。


山のように鬱や自律神経失調症の本を読み漁ったがどの本にも、ストレスを避けのんびりと休養をしましょうとしか書かれていなかった。
そして少し動けるようになったら軽い運動から始めてみましょうと書いてあった。



運動?
歩くのもやっとなのに?


その時の私は自律神経失調症がかなり重かったので朝から晩まで胸を締め付けられるような息苦しさに悩まされていた。
普段の息の半分も吸えないような状態なので自然と呼吸が早くなる。
そうしてる内に過呼吸発作を起こして倒れる事が日常茶飯事にあった。
なので毎日這うようにトイレに行き、死ぬ思いでシャワーを浴びていた。
トイレとシャワーと1日に1度の食事以外は1日中布団の中で過ごした。
ただひたすら天井を見つめながら「どうしたらここから抜け出せるんだろう」とそればかり考えていた。
不眠症は相変わらずでうつらうつらと眠れたかと思えば悪夢を見て目が覚めるという事をひたすら、ひたすや繰り返していた。
自殺を思いとどまって引き返したものの、頭の中は相変わらず死にたい気持ちでいっぱいだった。
食事もほとんどとれなくガリガリに痩せ細っていて寝たきりでいたため筋肉も落ち死にたいとは思っても決行するパワーが無かった。


地獄だな…
これは生き地獄だな


天井を見つめながら何度もそう思った。
眠れない、眠っても悪夢を見て目が覚める、この事で私の精神はかなり参っていた。
せめて眠っている間だけでも悪夢を見ず逃れられたらいいのに、と何度も思った。


そのうちに段々頭がおかしくなってしまってこのままいったら私はひと思いに自殺してしまうかもしれない。
そう危惧した私は居間に行き母親に「家中にある刃物を全部隠して欲しい」と頼んだ。
母はびっくりしながらも「分かったよ」といって家中にある刃物やフォークや箸など全てのものを隠してくれた。
そして「あんた、眠れてないなら私の飲んでる眠剤飲んでみる?」とハルシオンを1錠渡してきた。
何度も書くが、その時我が家は父の作った借金問題で荒れに荒れていて母親も心を病み精神科の薬を飲んでいたらしい。

精神科の薬にトラウマがあった私は一瞬怯んだが、もう何日も眠れてなくそろそろ本気でどうにかなりそうだったのでハルシオンを半錠だけ貰って布団に入った。
暫くしたら案の定頭がグルグルし始めたが、次に目を覚ました時には5時間程眠れていた。
悪夢も見ずぶっ通しでそんなに眠れたのは何ヵ月ぶりだっただろう。
それから私はまた限界になると母親にハルシオンを半錠だけ貰って寝るようになった。
毎日飲めば良かったんだろうが、やはり飲み始めた時の激しい目眩が怖くてそれは躊躇していた。