私がこの町に結婚と同時に夫と愛犬と共に引っ越してきたのは約1年前だ。
そこには、お互いの両親、何にも変えがたい友人、思い出、見慣れた風景…沢山のかけがえのないものがあり私達夫婦はそれらと30年近く住み慣れた故郷と共にお別れをしなければならなかった。
今の町は故郷から車で片道5、6時間かかる小さな町。
私はこの町に今まで全く縁が無く、ましてや自分が住むなんて全く思いもしなかった。
だから夫の転勤が決まった時もあまりピンとこなかった。
しかし、私はネットでこの町の事を色々と調べる内に不安がMAX最高潮に達し、激しくマリッジブルーになってしまったのである。
まず、ぶっちゃけていえば「田舎」な事。
私達が住んでいた場所はかなりの大都市であるのに対し、転勤先は比べ物にならない位の小さな町。
誤解しないで頂きたい。
私は決して田舎が嫌いなのではなく(むしろ好き)、勝手が分からない事が不安だったのである。
まず、私には長年患っている鬱やら自律神経失調症やらという持病がある。
それを診てくれる病院はどれ位あるのか、それを調べなくてはならない。
ネットで検索してみる。
「…え…診療内科が3件しかない…」
これはこの町の規模にしては多いのか少ないのかそれすらも分からない。
診療内科の先生と相性が悪かったとしても、なかなか転院出来ないな…。
その次に検索したのは動物病院。
私の飼っていた愛犬は老犬でとにかく病気が多く、それも原因不明の奇病を抱えていたので大きな大学病院にずっとかかっていた。
しかし、動物病院も3件しかなかった。(もちろん個人病院)
う~ん。
他にも店や役所等色々検索してみたがとにかくこじんまりとした小さな町だという事は分かった。
それから、激しいマリッジブルーの中で不安を抱えたまま荷造りをする日々。
実際に今の町に引っ越してきてからも、新しい生活に慣れるのにとても時間がかかった。
夫とは付き合いは長かったが一緒に住むのはもちろん初めてなのでお互いに戸惑う事も多かった。
なにより、夫の仕事が忙しく帰りが遅かったり当直の日で2日位帰ってこない日は本当に心細かった。
大げさではなく、本当に自分がはこの世の中でひとりぼっちなのではないかと本気で思ってしまうくらいに心細かった。
当時は毎日のように故郷の友人や家族に電話していた気がする。
診療内科の方は元々通っていた所から紹介状と今までの私の通院記録を書いてもらい、こちらの診療内科の先生に提出した。
新しい町でかかった診療内科はどうやら、少ない診療内科の中でも人気があるらしく、3、4時間はざらに待たされた。
幸いにも相性がよくていい先生だったのだが、待ち時間が余りにも長くて一度行くとぐったりだ。
私は妊娠に向けて薬を減薬していたため1年の中で3回位しか行かなかった。
友人と呼べる人も2、3人は出来たけど私の病気の事を話せる程まだ深くはなかったし、この病気は本当になった事のある人にしか理解の出来ない病気なため深い友人にも私は話さない。
話すにはとても長い時間が必要だし、そんな気力もないし自分の辛い症状を説明してるだけでますます自分が辛くなるだけだ。
そんなこんなで私は結婚してからとにかく毎日言い様のない寂しさや孤独感と闘っていた。
追い討ちをかけるように引っ越してきてすぐに愛犬の心臓病が分かり、病院通いの日々。
死ぬ最期の1ヶ月は毎日点滴をしに病院に連れていった。
日々弱り衰えていく愛犬を看病するのは肉体にも精神的にもとてもきつかった。
10月のある日愛犬は旅立った。
誰も知らないこの町で塞ぎこむ私を勇気づけてくれた相棒だった。
愛犬の話は辛くなるのでこの辺で。
愛犬が旅立ってから私は夫が当直でいない日に電気を消して眠る事が出来なくなった。
電気もテレビも付けっぱなしじゃないと眠れない。
故郷の大好きな友人達に電話をする回数も増えた。
しかしこの頃から、友人と話した後に電話を切った後に猛烈に寂しくなるようになった。
友人達が集まってどこかに遊びに行った話、家でお酒を飲みながらお泊りした話、誰々とどこどこに行った時の面白い話、そういった話を聞いてる時は楽しく笑いながら聞けるのに電話を切った後に思うのだ。
「ちょっと前ならその場に私もいたのにな。」
そう、友人達と電話で楽しく話せば話すほど余計に自分はそこにはもういないという事実を思い知らされて反動で一気に寂しくなるのだ。
辛い時、悲しい時、寂しい時、ただ単にばか騒ぎがしたい時、友人達に会いに行ってただ顔を見てくだらない事を喋ってるだけで元気になれた。
お互いに忙しくて会えない時でも、会いに行ける距離に友人がいる、それだけで安心だった。
実家もそうだ。
実際に行く行かないは別で、何かあった時にすぐに行ける距離にいるのといないのでは気持ち的に安心感が遥かに違う。
結婚とか引っ越しとか夫とかこの町とか愛犬の死とか問題はそこじゃないのだ。
問題は「距離」なのだ。
実際に車で片道5、6時間かかる距離って「ちょっと友達に会ってくるわ」の距離ではない。
私が今回のように鬱で寝込んだ時に「よくなるまで食事作れないから悪いんだけど実家でごちそうになってきて」と言える距離ではない。
私はパニックも抱えてるので高速バスで片道5、6時間乗って帰省する時は毎回死ぬ思いだ。
そしてこれだけ遠いと、身内や友人もなかなかこれないのだ。
金銭的にも体力的にも時間的にもこちらからはなかなか「遊びに来て」とは言えない。
(実際に私や夫の両親が一度だけ我が家に来てくれた事があるが「本当に疲れたわ。もういいわ」とこりごりな様子だったし)
この町が観光地ならもっと誘いやすいのだが、残念な事に全く名所がない。
(無さすぎてこの町はいつか沈没してしまうのではないかと心配になるくらいだ)
「せめて故郷から車で3時間位の距離だったらね~」
いつからかこれが私や友人達の口癖になった。
実際に世の転勤族の奥様方はこういった事に大変苦労されてるという。
転勤族の夫婦や単身赴任の夫婦の離婚率もかなり高いそうだ。
気持ちは分かる。
非常に分かる。
夫には新しい土地に引っ越しても職場に行けば居場所がもう用意されている。
(もちろん夫には夫にしか分からない苦労もたくさんあるだろう)
しかし、妻は違う。
外の世界との繋がりを1から自分で構築していかなければならないのだ。
大人になるとそれはなかなか難しい作業だ。
そうしてやっとできた繋がりを数年後には根こそぎ断たれて、また1からの繰り返し。
本当にパワーがいる。
まだ私には子供はいないが、これでもし子供がいたら学校等の役所絡みの事も含めて数年おきの転勤なんて想像するだけで頭がクラクラしてしまう。
でも、この頭がクラクラするような事を実際にされている奥様は実際にたくさんいるのだ。
日本国内だけならまだしも海外赴任に付いていかれて異国の地で頑張っている奥様なんて私からみたら本当にスーパーマン(ウーマン?)に思える。
私が人好きでエネルギッシュで前向きな性格だったらきっとそんな状況も楽しめただろう。
でもいい加減そんな事を愚痴ってみた所で何も変わらない。
転勤族だと分かっていて結婚を決めたのは自分。
人見知りだと言い訳して積極的に友達を作らなかったのも自分。
誰に愚痴ってみた所でもう自分の選んだ人生を受け入れなくてはいけないのだ。
でも、頭では分かってはいても気持ちが全然追い付いていかなかった。
私は結婚してから今までそういった頑張っている奥様方の事を思いいつも泣き言を言わないようにしてきたつもりだ。
(夫に泣きながら故郷に帰りたいと言って困らせた事も正直あるが)
でも心の中では、いつも故郷に帰りたいと泣いていた。
今回こんな状態になってしまって私は改めて自分の置かれてる状況を把握出来た。
もっと強くならなければ夫を支えてはいけないとも思っている。
もう1つ。
私は「因縁」というものを信じている。
縁がなければどんなに願ってもそのものと縁はしないし、願っていなくても縁があればどうしたって縁をする。
そして日頃「意味のない事等1つもない」と思っている。
例えその時は分からなくても後から振り返った時に「あれにはそういう意味があったのか」と分かる事がたくさんある。
だから、今の状況だけで全てを判断してはいけないと思う。
私は、この町に縁があったから来て今の苦しみにも必ず意味があるのだ。
今は検討もつかないけれど。
そこには、お互いの両親、何にも変えがたい友人、思い出、見慣れた風景…沢山のかけがえのないものがあり私達夫婦はそれらと30年近く住み慣れた故郷と共にお別れをしなければならなかった。
今の町は故郷から車で片道5、6時間かかる小さな町。
私はこの町に今まで全く縁が無く、ましてや自分が住むなんて全く思いもしなかった。
だから夫の転勤が決まった時もあまりピンとこなかった。
しかし、私はネットでこの町の事を色々と調べる内に不安がMAX最高潮に達し、激しくマリッジブルーになってしまったのである。
まず、ぶっちゃけていえば「田舎」な事。
私達が住んでいた場所はかなりの大都市であるのに対し、転勤先は比べ物にならない位の小さな町。
誤解しないで頂きたい。
私は決して田舎が嫌いなのではなく(むしろ好き)、勝手が分からない事が不安だったのである。
まず、私には長年患っている鬱やら自律神経失調症やらという持病がある。
それを診てくれる病院はどれ位あるのか、それを調べなくてはならない。
ネットで検索してみる。
「…え…診療内科が3件しかない…」
これはこの町の規模にしては多いのか少ないのかそれすらも分からない。
診療内科の先生と相性が悪かったとしても、なかなか転院出来ないな…。
その次に検索したのは動物病院。
私の飼っていた愛犬は老犬でとにかく病気が多く、それも原因不明の奇病を抱えていたので大きな大学病院にずっとかかっていた。
しかし、動物病院も3件しかなかった。(もちろん個人病院)
う~ん。
他にも店や役所等色々検索してみたがとにかくこじんまりとした小さな町だという事は分かった。
それから、激しいマリッジブルーの中で不安を抱えたまま荷造りをする日々。
実際に今の町に引っ越してきてからも、新しい生活に慣れるのにとても時間がかかった。
夫とは付き合いは長かったが一緒に住むのはもちろん初めてなのでお互いに戸惑う事も多かった。
なにより、夫の仕事が忙しく帰りが遅かったり当直の日で2日位帰ってこない日は本当に心細かった。
大げさではなく、本当に自分がはこの世の中でひとりぼっちなのではないかと本気で思ってしまうくらいに心細かった。
当時は毎日のように故郷の友人や家族に電話していた気がする。
診療内科の方は元々通っていた所から紹介状と今までの私の通院記録を書いてもらい、こちらの診療内科の先生に提出した。
新しい町でかかった診療内科はどうやら、少ない診療内科の中でも人気があるらしく、3、4時間はざらに待たされた。
幸いにも相性がよくていい先生だったのだが、待ち時間が余りにも長くて一度行くとぐったりだ。
私は妊娠に向けて薬を減薬していたため1年の中で3回位しか行かなかった。
友人と呼べる人も2、3人は出来たけど私の病気の事を話せる程まだ深くはなかったし、この病気は本当になった事のある人にしか理解の出来ない病気なため深い友人にも私は話さない。
話すにはとても長い時間が必要だし、そんな気力もないし自分の辛い症状を説明してるだけでますます自分が辛くなるだけだ。
そんなこんなで私は結婚してからとにかく毎日言い様のない寂しさや孤独感と闘っていた。
追い討ちをかけるように引っ越してきてすぐに愛犬の心臓病が分かり、病院通いの日々。
死ぬ最期の1ヶ月は毎日点滴をしに病院に連れていった。
日々弱り衰えていく愛犬を看病するのは肉体にも精神的にもとてもきつかった。
10月のある日愛犬は旅立った。
誰も知らないこの町で塞ぎこむ私を勇気づけてくれた相棒だった。
愛犬の話は辛くなるのでこの辺で。
愛犬が旅立ってから私は夫が当直でいない日に電気を消して眠る事が出来なくなった。
電気もテレビも付けっぱなしじゃないと眠れない。
故郷の大好きな友人達に電話をする回数も増えた。
しかしこの頃から、友人と話した後に電話を切った後に猛烈に寂しくなるようになった。
友人達が集まってどこかに遊びに行った話、家でお酒を飲みながらお泊りした話、誰々とどこどこに行った時の面白い話、そういった話を聞いてる時は楽しく笑いながら聞けるのに電話を切った後に思うのだ。
「ちょっと前ならその場に私もいたのにな。」
そう、友人達と電話で楽しく話せば話すほど余計に自分はそこにはもういないという事実を思い知らされて反動で一気に寂しくなるのだ。
辛い時、悲しい時、寂しい時、ただ単にばか騒ぎがしたい時、友人達に会いに行ってただ顔を見てくだらない事を喋ってるだけで元気になれた。
お互いに忙しくて会えない時でも、会いに行ける距離に友人がいる、それだけで安心だった。
実家もそうだ。
実際に行く行かないは別で、何かあった時にすぐに行ける距離にいるのといないのでは気持ち的に安心感が遥かに違う。
結婚とか引っ越しとか夫とかこの町とか愛犬の死とか問題はそこじゃないのだ。
問題は「距離」なのだ。
実際に車で片道5、6時間かかる距離って「ちょっと友達に会ってくるわ」の距離ではない。
私が今回のように鬱で寝込んだ時に「よくなるまで食事作れないから悪いんだけど実家でごちそうになってきて」と言える距離ではない。
私はパニックも抱えてるので高速バスで片道5、6時間乗って帰省する時は毎回死ぬ思いだ。
そしてこれだけ遠いと、身内や友人もなかなかこれないのだ。
金銭的にも体力的にも時間的にもこちらからはなかなか「遊びに来て」とは言えない。
(実際に私や夫の両親が一度だけ我が家に来てくれた事があるが「本当に疲れたわ。もういいわ」とこりごりな様子だったし)
この町が観光地ならもっと誘いやすいのだが、残念な事に全く名所がない。
(無さすぎてこの町はいつか沈没してしまうのではないかと心配になるくらいだ)
「せめて故郷から車で3時間位の距離だったらね~」
いつからかこれが私や友人達の口癖になった。
実際に世の転勤族の奥様方はこういった事に大変苦労されてるという。
転勤族の夫婦や単身赴任の夫婦の離婚率もかなり高いそうだ。
気持ちは分かる。
非常に分かる。
夫には新しい土地に引っ越しても職場に行けば居場所がもう用意されている。
(もちろん夫には夫にしか分からない苦労もたくさんあるだろう)
しかし、妻は違う。
外の世界との繋がりを1から自分で構築していかなければならないのだ。
大人になるとそれはなかなか難しい作業だ。
そうしてやっとできた繋がりを数年後には根こそぎ断たれて、また1からの繰り返し。
本当にパワーがいる。
まだ私には子供はいないが、これでもし子供がいたら学校等の役所絡みの事も含めて数年おきの転勤なんて想像するだけで頭がクラクラしてしまう。
でも、この頭がクラクラするような事を実際にされている奥様は実際にたくさんいるのだ。
日本国内だけならまだしも海外赴任に付いていかれて異国の地で頑張っている奥様なんて私からみたら本当にスーパーマン(ウーマン?)に思える。
私が人好きでエネルギッシュで前向きな性格だったらきっとそんな状況も楽しめただろう。
でもいい加減そんな事を愚痴ってみた所で何も変わらない。
転勤族だと分かっていて結婚を決めたのは自分。
人見知りだと言い訳して積極的に友達を作らなかったのも自分。
誰に愚痴ってみた所でもう自分の選んだ人生を受け入れなくてはいけないのだ。
でも、頭では分かってはいても気持ちが全然追い付いていかなかった。
私は結婚してから今までそういった頑張っている奥様方の事を思いいつも泣き言を言わないようにしてきたつもりだ。
(夫に泣きながら故郷に帰りたいと言って困らせた事も正直あるが)
でも心の中では、いつも故郷に帰りたいと泣いていた。
今回こんな状態になってしまって私は改めて自分の置かれてる状況を把握出来た。
もっと強くならなければ夫を支えてはいけないとも思っている。
もう1つ。
私は「因縁」というものを信じている。
縁がなければどんなに願ってもそのものと縁はしないし、願っていなくても縁があればどうしたって縁をする。
そして日頃「意味のない事等1つもない」と思っている。
例えその時は分からなくても後から振り返った時に「あれにはそういう意味があったのか」と分かる事がたくさんある。
だから、今の状況だけで全てを判断してはいけないと思う。
私は、この町に縁があったから来て今の苦しみにも必ず意味があるのだ。
今は検討もつかないけれど。
いろいろ検索していたところ、このブログを見つけ読ませて頂きました。
なんだか、この日記に書かれている言葉が、妻の心の中にある思いなのかな、と思い
考えさせられました。
週末、妻と腹を割って話をしようと思います。どうかお体に気をつけて下さい。
コメントありがとうございます。
転勤族の方は旦那様も奥さまも両方大変ですよね。
私の場合は「適応障害」だったのかなと自分では思っています。
新しい環境に慣れるのが人より時間がかかりました。
今やっと、慣れたというより「諦めた」という気持ちになりました(笑)
「受け入れる」か「離婚、単身赴任」のどちらかの選択しかないので…私は「受け入れる」方を選びました。
旦那様も外で大変な思いで働いてる事と思いますのであまり気負わず、たった一言「お前の味方だから」という姿勢を示してあげたら奥さまも次第に慣れてくださると思います。
奥さま一人で闘ってて旦那様は外で楽しそうにしてるという状況が一番孤独を感じるので、「俺も闘ってるんだ」と「一緒に闘って一緒に楽しもう」と、二人単位での気持ちを示してあげたら奥さまの意識も変わってくると思います。
偉そうに長文すみません。
転勤族のご夫婦は本当に大変だと思いますが、逆に夫婦の絆を深められるチャンスでもあると思います。
お互いに乗り越えていきましょう(^^)
結婚、遠方への転勤、病気のことを打ち明ける友人作りでの苦労(私の場合はパニック障害です) 、そして、縁や因について考えてることも、全て同じで。
本当に、読んでいて「あらっ、私が書いたかな??」 って思うくらいでした(笑)
今の土地に馴染む努力、夫を支える努力、病気を克服する努力。
どんなに努力しても、遅々として進まず… という程度にしか実感がわかないんです。
あなた様のような方とお友達になれたらどんなに救われるだろう… なんて、思っちゃいました。
コメントありがとうございます♥
息子が胃腸炎になりバタバタしていてお返事が遅くなってすみません😣💦⤵️
転勤族の妻…辛いですよねほんと…😢
私がこの記事を書いて早6年…さすがになれては来ましたがまだ仲良しのお友達は二人くらいしか出来てません(笑)
でもその友達にも自分の病気の事はまだ言えてないです(;つД`)
でも私もまだ…というか今もこれからも「因」とか「縁」という目に見えないものを信じています。
この土地で生きていくことに何かの意味があると信じて毎日踏ん張って生きてます😂
どうしたらお友達になれるのか色々考えてみたんですが方法が思い付かなくて…よくやり方が分からなくて放置状態のアカウントがあるんですが、そちらを使ってやり取りしましょうかね?😊(ネット関係に弱くて全然時代に追い付けてません 笑)