谷あり谷あり。

鬱と自律神経失調症と若年性更年期障害とパニック歴15年です。それでも何とか一児の母やってます。

素朴な疑問。

2014-07-27 15:03:27 | 日記
今たまたま見ていたテレビで黒柳徹子のユニセフの番組がやってる。




こういう番組を見てていつも思う事がある。







何で子供作るの?





親である人達もまともに食べていけないような生活で何故子作りをするの?
こういう国には率先してコンドームを配るべきだと思うんだけど。


親が泣いている。
ガリガリに痩せ細った子供の食べるものが無いと。
栄養失調で歩く事が出来なくなった子供を助けてくれと。



…いやいや、そうなる事は予想出来たでしょ?

って腹が立っている私は冷たい人間なのだろうか。



日本でもたまにいるよね。


極貧なのに無計画にポンポン子供を作る親。


子供が欲しいと、実際に産めるかは別の話だと思う。
いや産む事は可能だけど育てられるかってなると話は別だよね。


育てるにも色々あって、ただ単に食事を与えてたら黙ってたって子供は育つ。
それだけをして「子育て」と言えるのか。



私は違うと思うんだ。



バランスの良い食事を与えて、いつか社会に出られるようにその子をよく観察し、可能性を伸ばしてあげたり支えたり時にはお尻を叩いたりしながら社会に送りだす。


それが最低限の親の義務だと思ってる。




これは、結婚する前若い時から思っていた事。


私は結婚願望がなく、自分が今こうやって結婚して妊娠するなんて想像していなかった。
自分には子育てなんてする自信が全く無かったし、今も自信がない。



でも、決して裕福ではないが普通の暮らしは出来ていると思うので最低限の子育てはしててあげられる…と思う。
してあげたいと思ってる。
もちろん人生に絶対はないから今のところはだけど。



とにかくこの手の番組を見ると「負の連鎖」という言葉が頭に浮かぶ。


何故産むの?

自分達両親(もしくは片親)ですらまともな職についていなくて、明日の食べる物を心配しなくちゃいけない生活の中で何故また新たに産むの?


6畳一間の掘っ立て小屋に家族9人で暮らしてますって…

日本の大家族でもよく見られるよね。
思春期の子供達が、小さな兄弟と狭い部屋でギュウギュウで生活してる光景。


かわいそうだよ、そりゃかわいそうだけどさぁ


まず産まなかったらいい話では?と思ってしまう自分はおかしいのかなぁ。





子供を育てる事の出来ない夫婦にはとりあえずコンドームをしてもらいましょう。

と思ってしまう自分はおかしいのだろうか?



だって、キリがないような気がしてさぁ…。


日本だってずーっとこういう貧民国を支援してる訳でしょう?

常に常に栄養失調の赤ちゃんが生まれてさぁ。

キリがないよ、ほんと。


まず国を建て直して安心して子育てが出来る環境にしてから子供を産みましょうじゃだめなの?

昔話Vol.11 ~旦那との付き合い~

2014-07-22 13:47:43 | 日記

少しずつ現実に引き戻された私は少しずつ食事を食べるようになり、起きている時間も増えてきた。
気分は薬の副作用でまだボーッとしていた。

この時の話を医師や同じ病の人に話すと「本当に薬が効きやすいんだね」と言われるが、自分でも本当にそう思う。
それは若い時からどんなに体調が悪くても薬を飲まずに我慢していたせいなのか、体質なのかは分からない。
私のような病の方は1日に薬を10錠飲んでるとかはザラらしく、多い方だと20錠、30錠飲んでる方もいるようだ。

私はMAXでも5、6錠でそれでかなり改善されたのでラッキーだったのかもしれない。

もちろん、こればかりは人それぞれなので一概には言えない。



因みにこの1ヶ月で体重は5㎏落ち、当然筋肉は弱りフラフラ。
少しずつ家の周りを散歩しながらリハビリした。


そんなある日、1本の電話があった。
相手は後に私の旦那になる人からだった。

顔馴染みではあったが無口なカレとはあまり喋った事が無かったので正直突然の電話にはびっくりした。

私 「久しぶり、どうしたの?」
旦那 「いや、元気かなと思って」
私 「何か体調崩して死んでたわーアハハ」
旦那 「え?大丈夫?」



というような会話をしてその時は終わったような気がする。

それからポツポツと電話やメールが来るようになって付き合うようになった。

とは言っても私は病人で会っても車で一時間ドライブして終わりとかそんな感じだった。

カレは無口だけど癒し系で一緒にいるだけで凄く気持ちが安らいだ。
病気についてアレコレ聞いて来なかったのも私には良かった。
常に体調の悪い私の都合を優先してくれた。
外食とかデートのようなものは全然出来なかったが、それでも文句1つ言わなかった。


そんなカレのお陰と薬の効果もあって、私の体調は薄皮を剥がすように少しずつ良くなった。

そんな状態が数年続いた。
私の病気は一進一退しながらも少しずつ良くなった。


旦那の実家の事業を手伝ったりも出来るようになった。


そうしてカレと付き合って7年、遂に私達は結婚してカレは私の旦那になった。

最近の女性の生き方について思う事。

2014-07-10 15:06:06 | 日記
昨日の記事からの続きといえば続き。





妊娠してから未知だったママの世界を覗き見して
驚いたり
気が重くなったり
吹き出したり
考えさせられたりしてる最近の私。




何でも二極化して白か黒に分類分けしようとするママの世界。
(もちろん一部のママさん達だけだと思いたい)


私は未熟者で決して人をどうこう言える人間ではない。

でも人それぞれのライフスタイルを無視して○○だから勝ち組、○○だから負け組というののは余りにも浅はかではないだろうか。

保育園に行っている子供を見て、幼稚園じゃないからダメだと見下すのは何故だろう。

専業主婦を見て、働いてないダメな人間と見下すのは何故だろう。


男の子を持つママを見て、女の子を持てなくてかわいそうだと見下すのなんてのはもう滑稽すぎて笑えてくる。



ちょっと話はズレるがいつの頃から女はこんなに前に出たがるようになったのだろうと思う時がある。
女性の社会進出と共に女はどんどんと変化してきているように思う。


私は同じ女でありながら、所謂「今時の上昇思考の強い女性」には嫌悪感を覚えている。
これはデリケートで難しい問題なのであまり適当な事は言えないが、今の女性は正直痛々しく感じてしまう。


そもそも男性と女性とは全く逆に作られた生き物だ。


男の体は元々外に出て働くようにできている。
外に出て敵だらけの中で戦い、家に帰ってきて羽を休めまた外に戦いにでる。
男の本能の中には家の中に目を向け、家族の顔色、少しの変化に気がつくような部分はあまりない。
自分の巣である我が家に一番信頼出来る妻を置き、全てを妻に任せて外に働きに出る。
それが妻子のためであり、責任だと思っているからだ。



逆に女の体は毎月毎月生理があり、体力も男よりはない。
外に出て敵と戦う能力より、家にいて家族の顔色の変化を見て体調を気づかったりケアする能力に長けている。
男より共感意識に長け、包容力と慈愛に溢れ、弱者の心に寄り添い守ろうとする。



この男女の基本的構造の違いはいくら時代が変わろうとも、変わらない部分ではないだろうか。

それが今はどうだろう。

女は何て欲張りになったんだろうと思う。

欲張りになり「評価」されたがるようになった。
外で戦い自分の力を試したがるようになった。

結果結婚率が下がり、出生率が下がり、離婚率が上がった。

でもこうなるのも当然だろう。



家の中に男が二人いる状態になっているのだから。
ぶつかるに決まっているのだ。
男は女と結婚したはずなのに、どこを探してもその「女」が見当たらないのだから。

男も女も外で戦って帰ってきて羽を休めたいと思っている。
でもケアをする人がいないのだ。

その役割を担う人がいないのだ。
女がそれを放棄してしまっているから。

女は自分で生きていける力を身につけ男を必要としなくなり、男はそんな女といても気が休まらないため女を必要としなくなる。


そりゃあそうだろうなと思う。


こんな事言っては申し訳ないが、外でバリバリ働いている女性にそこはかとなくつきまとうギスギスした痛々しさ、可愛いげの無さを見ると女の私でさえあまりお近づきにはなりたくないなと思ってしまう。
自分の母親がこんなんだったらキツいなとさえ思ってしまう。
そんなギスギスした女と暮らすよりはどんなに寂しくても一人暮らしした方がよっぽどマシだとの思いで結婚をしたがらない男の気持ちも多いに分かる。



散々外で働いて生活力を身につけ自分磨きを尽くした女は30半ばになって、今度は子供が欲しくなる。
慌てて婚活をしてようやく相手を見つけ結婚して子作りを始める。
しかし、人生そんなに思うようにいかず授からない。
医療の力を借りて不妊治療を始める。



こういったパターンが私の周りを含め非常に多い。

でも、こういった女性が増えた事を決して女性だけが問題だと思わない。


これは日本という国の男性が、長い長い長ーい間男社会なのをいい事にそこにあぐらをかいて好き放題してきた事がそもそもの原因なのではないかと思っている。




全ての法律は男に都合の良いように作られ、女を見下し、侮辱してきた事への女からの反乱ではないだろうか。
この前の議会での女性への暴言が良い例だ。
あのアホな議員は口に出してしまったが、口に出さないだけでああいった女性蔑視の考え方は多かれ少なかれまだまだ多くの男の心の中にはあるはずだ。


男が外で働いてきて、女は家で料理を作って帰りを待ち身の回りの世話をする。

それは別に男が偉い訳でも、女が飯使いな訳でもない。
お互いがお互いの役割があるだけだ。
夫婦は二人三脚であってどちらが上でも下でもない。
それを日本の男は何を勘違いしたんだか、男は女より偉いと思っている。
甘やかせば甘やかすほど付け上がって、酷いのになると浮気はするはDVはするやりたい放題。
妻を自分の母親か何かと勘違いして何をしても許されると思っている。


日本の男は女に感謝の言葉をあまり口にしない。
妻が夫に「お疲れさま」といえば、夫も妻に「お疲れさま」と言えばいい。
日本男児は照れ屋でなかなか思った事を口に出来ないと言うのも単なる言い訳、逃げでありこれも男に都合の良く作られた日本の悪しき風潮だと思う。
ったく、モジモジした5歳児じゃないんだよと言いたい。
いくら夫婦でも口に出さないと伝わらない事はたくさんある。
口に出さなくて伝わっている事でも、口に出して言ってもらうと嬉しいものだ。
そんな当たり前の事が何故出来ないのだろうか。





夫の定年が60歳なのに、どうして妻の定年がないのかも不思議でならない。
夫が無事に定年まで働けたのは、妻のおかげでもあるのではないか。
何十年も自分一人で頑張ってきた顔をされたら、妻は本当にやってられない。
男が定年して周りに「長い間お疲れさま」と言われるのに、妻は誰にも労いの言葉をかけてもらえないのだ。

男が定年した途端に家でゴロゴロできて、何故女は変わらずに(いや旦那が家にいるだけで仕事は倍量)あくせくと家事をこなさなくてはならないのか。
それを当たり前と言われ、誰にも労いの言葉をかけてもらえず。



そして妻は夫に離婚を叩きつける。
もうたくさんだ、残りの少ない人生自由に生きたいと。
寝耳に水の夫は驚く。
引き留めても女が1度決めた決心は揺るがない。
妻は出ていき、夫は家の事なんて何一つ出来ずボーゼンとしながらカップラーメンにお湯を入れ侘しい老後を過ごす。



当然だろう。
女は奴隷じゃないのだ。
自分に寄り添って陰でサポートしてくれる妻を労るどころかふんぞり返ってあぐらをかいていた報いだ。


こんな母親世代を見て誰が結婚に夢を抱くだろう。

自分の母親を見て「こんな人生だけは絶対に送りたくない」と思い一人で生きていけるよう社会で戦いながら生活力を身につけようとする女性を誰が責められるだろう。



こうやって書き出してみると、どこからどう間違って今の現代社会に流れ着いたのか一概には言えないが社会が今一度女性が「結婚って素晴らしい」と思うような社会にならなければ離婚率の上昇も少子化にも歯止めがかからないのではないかと思う。

男と女。
お互いにもう少し思いやりをもっていたら。
最後は人間として一番大切なそこの部分に突き当たるのではないだろうか。





※この記事の内容はあくまでも私の主観です。
多種多様な考え方、生き方があるのを十分理解した上で私自身の勝手な主観を書きなぐった記事だという事をご理解頂ければと思います。

いつも私の拙いブログを読んで頂きありがとうございます。






昔話Vol.9 ~少しの光~

2014-07-09 15:09:26 | 日記



予期せぬ事態に実家から親友の家に身を寄せる事になった私だったが、毎日寝たきりの私が居座る事に毎日罪悪感でいっぱいだった。
独身時代に貯金魔だった私はまだ貯金が残っていたので、家賃や公共料金を払おうとしたが親友は断固として受け取らなかった。



そのうち、私の鬱は日に日に悪化していった。
理由は分からないがとにかく気持ちが「死」という方向に引っ張られて引っ張られて自分をコントロール出来なくなった。

ある日、パニックを起こし家を飛び出した私は気がついたら道路に飛び出そうとしていた。
鬱になって5年間、あの日自殺を思い止まって以来日毎日死にたい死にたいとは思っていたが実際に実行しようとした事はなかった。


「このままだとダメだ。どうにかしなくては」




そう思っていた私は5年前に精神科で痛い目にあって以来トラウマになっていた精神科に再びトライしてみようと思った。

その頃には時代もだいぶ変わり、「精神科」から「診療内科」と名前を変えた病院がほとんどでかなり敷居も低くなっていた。
前は年配の威圧的な男の医者だったので、今回は女医にしようと思った。
電話帳で決めたところに電話して予約を取りドキドキしながら門をくぐった。


5年ぶりに来た精神科…診療内科の待合室は以前のような雰囲気は微塵もなく驚いた。
壁に頭をぶつける患者も、ヨダレをたらしな下で寝そべる患者もいなく、みんな普通に席に座っていた。
一見、心を病んでるようにも見えず本当に普通の会社でお勤めしてるような人ばかりだった。
時代は変わったんだなぁとつくづく思った。



名前を呼ばれて診察室に入ると年配の優しそうな女医さんが。
一通り症状を話し、鬱、自律神経失調症、パニック障害、不安神経症と病名がついた。

前の精神科ではとにかく大量の薬を処方されたが、今回は弱い薬を4種類と眠剤1種類だけ。
1回に飲む量も少ない。


今度こそ!

そんな折りを抱えながら親友の家に帰った。

昔話Vol.6 ~鬱病編~

2014-07-09 13:46:33 | 日記



頼みの綱だった精神科の薬の余りにも酷い副作用に絶望的になった私は死を決意して家をでてひたすら車を走らせた。
助手席には家から持ち出した業務用の大きなカッターが置いてある。



涙も出なかった。
何も悲しくなかった。
何も怖くはなかった。


もう頭の中は「死」で埋め尽くされていた。



何時間車を走らせただろう。
気がついたら来た事もない場所まで来ていた。
少し気持ちが落ち着いてきて車を路肩に停めた。
物凄い田舎だったのは覚えているが、段々日が落ち始めていたので気がついたら真っ暗になっていた。


とりあえずシートを倒し横になる。


ふぅ~疲れたな。
それにしてもここは何処なんだろう。
あれ?私何でここにいるんだっけ?
あーそうだ、死にに来たんだった。
そもそも何で死のうと思ったんだっけ?
あ、鬱病になったんだ。
何で鬱病になったんだっけ?



そうやって鬱病になる前の人生をずっと巻き戻しで考え始めた。


そのうち、ある考えに行き着く。


それは小さい頃から一緒に暮らしてきた祖父母から散々教えられてきた言葉。


「自殺したら成仏出来ないんだよ。親より先に死ぬのは一番の親不孝」


そんな考えが頭に浮かぶ。

祖父母によると、自殺した人間は結局地獄に落ちるため、辛い事から逃げても結局また辛い思いをするだけだと。
他人の命を奪うのも自分の命を絶つのも命を粗末にする点では全く同じ事だと。


そっかぁ、今ここで自殺してもそれで楽になれる訳じゃないのか。
私が自殺したいと思ったのはそもそも今の苦しみから逃れるためだ。
それなのに死んでもまた苦しみが待っているのなら全く意味がないではないかと。



合理主義で意味のない事が大嫌いな私はそんな事を冷静に考えていた。



精神科の薬が合わなくて全ての道が絶たれたと思い込み自暴自棄になっていた私はここにきて初めて至極冷静に人生を見つめ直し始めていた。



その時ふと出掛けに「カレー食べるか?」と声をかけてきた父の顔が浮かび私は号泣した。
田舎の細道の路肩に停めた車の中で一人、ワンワンと泣きに泣いた。
鬱になってからそこまで感情が溢れて出たのは初めてだった。





帰ろう。
帰ってもう一度道を模索してみよう。


そこから何時間かかってどうやって自宅に帰ったのかは全く覚えてない。
ただ何回かガソリンスタンドに立ち寄って道を聞きながら帰ったのだけは覚えている。


自宅に帰った私を出迎えたのはやはり父だった。

「遅かったな、飯食えよ」

心配そうに見つめる父に「うん」とだけ言って台所でカレーを食べた。
久しぶりに食べた食事だった。

父は何も言わなかった。
ただ黙ってカレーを食べる私を見つめていた。


「ごちそうさま」

そう言って自分の部屋に戻った。



あー戻ってきたはいいけど、これからどうすればいいんだろう。



私は途方に暮れていた。