ニューヨークに住んでる日本人の為のフリーペーパーにニューヨーク育英学園の生徒が高峰譲吉の別邸を訪問した記事が載っていた。
小さなモノクロ写真に映っている天井の高さだけ見ても、かなりでかい建物だと分かる。
1904年に開催されたセントルイス万博で日本パビリオンとして設計された建物だそーです。
高峰の映画を2本撮った市川徹監督に今度見せてあげましょ。
その市川監督とはオイラと共通の知りあいが2人もいたのでビックリ。(前にも書いたな)
1人は編集者で、もー1人はマネージャー。(昨日書いた、余計な事を女性誌の記者にしゃべったのが、このマネージャー)
市川監督の映画をちゃんと観ていないが予告編は何本か観た事ある。
それを観ていて、市川さんってロジャーコーマンみたいな監督なのかなと思っていたが、野毛の茶店「コロンビア」で行なわれた市川監督主催のユースト生中継で撮影担当していたら、ゲストの俳優さんが、「監督は日本のコジャーコーマンになりたいのよね」みたいな事を言っていたので、やっぱりねーと思ったオイラでありました。
ロジャーコーマンの自伝は今でも持っている。(引っ越しする時、小説は、ほとんど売ったが映画、音楽に関しての本は1冊も売ってない)
子供の頃、テレビで何度か観た「恐怖の振子」のラストシーンは今でも観たらぞっとすると思う。
彼は多くの俳優、映画監督を輩出した事でも有名。(ウィキペディアを読んでね)
市川監督、低予算のロードムービーを作りたいと、この前話していたが日本のロジャーコーマンと呼ばれる日は近いか!。(オイラあんまり大作ってもんが好きじゃないんでね)