MoiMoi。のココデハナイ ドコカ。               

「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

今でもトレーラーハウスに憧れている。

2012-09-11 | コラム

父親に関しては、大分県の中津藩が祖先だと言う事は知っていたけど、本人は1度も中津に住んだ事がないと言う事、数年前に初めて分った。

子供の頃にしょっちゅう「中津に行こう」と言っていたので住んでいたと勝手に思っていた。(ココでも大分出身になっているが、こんなもんが発表されているのを知ったの、つい最近)

おとーさん(僕の爺さん)が満鉄に勤めていたので生まれは満州大連。

その後,立教中学から早稲田の商学部に行き、森繁久彌さん(同級生)と仲良くなる。

そんでもって毎日新聞記者から日テレ開局の際、最初出向、そして結局社員に。

新聞記者になるのが夢だったらしいので、夢を実現したと言う事であります。

当時、テレビなど海の物とも山の物とも分らん時代だったと思う。

日テレは当時、NTVとも呼ばれていた。

社旗の色は最初、早稲田カラーの小豆色。(今は違う)

たぶん日テレには早稲田出身の人が多かったんじゃないかな。

小学生の時、父親に日テレの旗を作ってもらい自転車に付け走っていたのを覚えている。

日テレ開局した当初、テレビに映るの嫌がる人が多かったので(今では考えられないが)家でコマーシャルの撮影をやった事が何度かあったらしい。

バックから強いライトが当たっていたのを、うっすら覚えている。

父親以外は家族全員出演したらしい。(何のCMだったのかな?)

放送局の人間なので、当然家にはテレビがあった。

隣に住んでいたのはアメリカ人の軍人で、奥さんは日本人で名前は瀬戸さん(たぶん現在アメリカワシントン州在住)

アメリカ人は、アメリカンフットボールが好きなので試合があると、うちに観に来ていたらしい。

瀬戸さんが僕を羽田のPX(日本人は入れないスーパー)に連れて行ってくれたらしいけど、全く覚えていない。

外国人の子供が話しかけて来たと当時母親に言っていたそーです。

なので家にはアメリカの缶詰など仰山あったらしい。

こーゆー経験をガキンチョ時代からしていたので、スーパーマーケット好きになったのかも。

彼らはアメリカに帰国しトレーラーハウスで生活していると言う話を聞き(写真も送ってもらった記憶あり)いいなー楽しそーと当時、幼稚園児(小学低学年かも)だった僕ちゃんは、ちと憧れたのでありました。

ガラガラ蛇の尻尾や、当時日本には無かった電動歯ブラシ、電動ゆで卵器など色々送ってもらった。

瀬戸さんがいた時代に農大生だった父親の一番下の弟が居候していた時期があったが何年ぐらいいたのか記憶無い。

この伯父さん、カナダのバンクーバーの近くのホワイトロックと言う所でバラ園やって成功。

さっさとカナダ国籍取得。

息子(僕の従兄弟)がパイロットなので、たぶん飛行機代など無料(格安?)なんでしょ。

時々、農大の集まりがあると帰国する。(この伯父さんから2~3年前に瀬戸さんから電話がかかって来たと連絡があった。バンクーバーとワシントン州はお隣同士。瀬戸さん元気かなー。会ってみたいなー)

とにかく父親は家に人を呼ぶのが好きな人で、正月などは日テレの部下の人達が仰山来て、大変だった。(当時、おせち料理など母親が全部作っていた)

そー言えば、タケちゃんとか言う親戚の人が一時家にいた事もある。

九州だったか大阪だったか忘れちゃいましたが、西日本方面から駆け落ちしてきた親戚を泊めてあげた事もあったらしいが、覚えていない。

大きな家じゃないのに、父方の従兄弟が何人か泊まりに来た事あったが、会ったのはその時だけ。

なんせ、TBS(確か)の重役が家に来た時、前を通りすぎたと言う話があるぐらいだから。

家の大きさより食べ物に興味があった人なんじゃないかな。

「◯◯食べた事ある人」と小学校の先生に質問され、うちの兄貴1人だけ全部手を挙げたと言う話があるぐらい色んな所に食べに連れて行ってくれた。

普通、父親と息子がキャッチボールやるのが定番みたいだが、そんな経験まったく無い。(野球に興味無かったけどね)

釣りにはよく連れて行ってもらったが。

本は何冊でも買ってくれた。

しかし今でも覚えているけど大森駅前の書店で「次郎物語」の文庫本(六巻ぐらいあったかな)を買ってもらったが、結局読まなかった。

こーゆー事は自分で買った本でも、よくあった。

今まで買って読まなかった本が何冊ある事やら。

シリーズもんなど買う事自体が義務になり、その後、積読状態。

5回ほど引っ越ししているけど、荷物は少ない方がいいー。

なので図書館で借りる事が多くなったが、必要だと思ったら購入。

ってここまで書いて、現在、日テレ、読売、原発問題で評判よくないのを思い出した。

日テレ初代社長の正力松太郎さんが原子力委員会の初代委員長。

父親は正力さんに可愛がられたそーであります。

尻切れとんぼですが終了ー。














1万円もしたのにー。

2012-09-10 | コラム

小学生の頃、なぜか六法全書が欲しくなり歳の離れた従兄弟(確か、当時法政大学の法学部)がいらなくなったの持っていたので貰った事がある。(因みに、この家の長男が中学生だった時の家庭教師が、当時東大生だった久世光彦さん)

別に読む訳でもなく、なんとなく傍に置いてあるだけの存在だったが、この従兄弟のおとーさんは検事から弁護士になった人。

僕が小学生の時に亡くなったが、名前がなんと長谷川一夫。(俳優と同姓同名だが漢字は和夫だったかも)

僕の母親のおねーさん(長女)の旦那なので、長谷川同士で結婚した事になる。

長女と次女の旦那は2人とも検事から弁護士になった人。

おとーさん(つまり僕からすればおじーさん)が娘の婿は法律家でないとダメだと言っていたそーです。

その為2人はこーゆー事になってしまったが、うちの母親(三女)がそれを打ち破り新聞記者(結婚当初)と結婚した為、その下の治子(ハーちゃん)は普通のサラリーマン、一番下の直子ばちゃんは武蔵野音大の先生と結婚したのでありました。

この状況を頑固爺さん(だったと思う)の長谷川常太郎は、どー思っていたのだろーか。

常太郎の奥さん(つまり僕にとっておばーさん)の父親が検事総長から司法大臣(現法務大臣)になり法政大学総長になった人だったそーです。(末裔がこんな男ですんません)

 独協出身で、独協中学の校長もやっていた。

 1990年に朝日新聞から出版された人名事典で調べてみたら、ちゃんと出ていたのでビックリしたのを覚えてる。(この人名事典、1500ページもあり定価1万円もした。僕が持ってる本の中で一番重い。でも今でも本箱の片隅にひっそり置いてある)

以前は無かったけれど最近はウィキペディアにも載っている。

こーゆー家系が自分にどー影響しているか分らないけれど、小学生の時、生徒会長の選挙に再立候補した現生徒会長に対して、みんながいる前で「公約した事、何もやってないじゃん」と批判した事がある。

こいつガタイがいいので、ある意味番長的存在。

こいつらの仲間にいじめられそーになったが、こちとら少しは腕力あったので、後ろから羽交い締めにしてやったら降参しちゃった。

イジメで思い出したが、中学の時、意味も無く攻撃してくる奴が2人(グル)いたが、無視し続けた。

ある日、体育の授業で懸垂やらされ、先生に

『磯田だったら100回はいけるな!」

それを聞いていたY(名前だって覚えているぜ。頭空っぽの奴だったが)は、焦ったらしく僕に慣れ慣れしく寄って来たが相手にしなかった。(切れたら、こいつら2階の窓から突き落としちゃってたかもしれないけどね)

もしかしたら先生は僕が、このバカどもにいじめられているのを知っていたのかも。

だったら、なかなか気の効いた先生でありますが、名前覚えてオラウータン。

さて僕の家系では法律関係者は伯父さん止まりで、それ以降は1人も、そっち方面に行った人、いませーん。(残念)






黄金町辺りにいたかもしれない高ノ花(貴乃花ではない)にまつわる話。(タイトル長い!)

2012-09-09 | コラム

僕の名前を付けたのは長谷川常太郎。よーするに祖父である。

僕が確か学生の時に亡くなったが検事から公証人になった人。

なんで検事を止めたかと言うと子供が7人もいたので検事じゃ食わしていけないと言う事だったらしい。

前にも書いたかもしれないが、このおじーさんの自慢が世界的なオペラ歌手だった三浦環の遺言を書いた事だったよーであります。

グラバー邸には、三浦環のこんな像もあるそーです。

この常太郎さんと同郷だと言う事で、ひいきにしていたお相撲さんがいたと言う話を以前から聞いていたので、ネットで検索したら出てきました。

新潟県上越市出身なので、たぶんこの人でしょー。

高ノ花武也この名前で検索すると相撲人名鑑 が出てきます。転載禁止と書いてあるので

さほど長い期間力士をやっていた訳ではないのに、ちゃんとデーターが残っていたので、ちょいとビックリ。
 

この人がお相撲さんをやってた時期に、母親は結構良い席でお相撲観戦していたよーです。(まだ小学生なのに!)

どーも常太郎さんは顔が広く、いろんな知り合いがいたみたいで会社が年間契約している席が空いている時にチケット貰ってきたよーであります。(顔が広く無いオイラは常太郎さんの血を引き継いでないな)

高ノ花さんは、相撲は、くすぐったいので辞めたと聞いていますが、ホントかどーかは分らない。

廃業後は横浜黄金町辺りの人と結婚したと聞いていますが、相撲人名鑑見ると新宿で相撲料理店を経営していたと書いてある。

チャブ屋(ちょんの間?)で用心棒でもしていたのではと言う話もあるが、これも『鷹揚で無欲な性格』と書いてあるので、あまり考えにくい。

とりあえず、高ノ花武也 チャブ屋 黄金町 お相撲さんなどで検索してみたが、まったくヒットしない。

昭和 7年 に春秋園事件なんていう力士のストライキもあったのね。

協会に対する色んな不満が爆発して起こった事件らしい。

かなりの力士が脱退した後、新しく興行を打ち成功を収めたなんて、なかなかカッコいいな。

これ以前にも江戸、明治、大正時代にも力士が起こした事件はあったが、この春秋園事件以降には無いらしい。

相撲に、まったく詳しくないけど、少し勉強になりました!。

黄金町辺りに元お相撲さんがいたという情報あったら教えてね。





馴染みある街。

2012-09-07 | コラム

外出する時「世の中そんなに悪い奴なんていない」と思いながら歩いている。

以前、仕事関係で変な奴が近寄ってくるのは、オイラも変だからしょうがないよなと思ったりしていた。

今はそーゆー奴が関わって来たら過去の経験生かして、とっとと逃げるよーにしているが、別にいないので問題無い。

なので東京時代より精神的に安定しているかも。

この前、テレビで横浜の中学生(だったかな?)ぐらいの男の子達が渋谷に出没したけど、あまりにも人が多いので、「横浜の方がいいや」みたいな事言いながら、さっさと帰ってしまう寸劇やっていたけど、あの気持ちはオイラも、よーく分る。

特に渋谷はオイラにとってテリトリーだったので、スクランブル交差点からセンター街にかけてのゴチャグチャガチャ状態にはうんざり。

なので渋谷からは遠ざかって行った。

東京時代によく出没していたのは自由が丘。

大きな本屋に行くんだったら自転車で自由が丘。

ブラブラしに行くのも自由が丘。

レコード会社時代、帰りに自由が丘でポリドールレコード(現ユニバーサルミュージック)の友達や当時FM東京(現TOKYO FM)のディレクターMちゃん(現J-WAVE)と飲んでたなー。

今でも自由が丘が一番落ち着くかも。

よーするにこじんまりしているのが◯。

でもよく店が変わった。

チェーンだったが台湾小皿料理の店、良心的で美味しかったが、いつのまにか無くなってた。(この店、無くなったのは痛かった)

話題になっていたんでそのうち行こーと思っていたベトナムレストランも、あっと言う間に無くなっちゃった。

最後の締めで飲みに行ってたレノンストリートもとっくのとーに無い。

1軒だけ昔行ってた店が、まだ残っているけど横浜引っ越して来てから2度行ったが、もー行く気がしない。

イタリアンカフェバーも、チャージを取るよーになってから行かなくなった。

お気に入りの、バーテンダーも辞めちゃったので、もーいい。

でも自由が丘は子供の時から馴染みある街だから嫌いにはならないなー。


 

 

 

 


 

 

 


自覚がある方が辛い。

2012-09-05 | コラム

FBにも紹介しましたが今朝の東京新聞に統合失調症の事が大きく取り上げられていた。

心病む母が遺してくれたもの 精神科医の回復への道のり」を書いた著書の話。

以前、紹介したこのも、東京新聞が取り上げていた物だが、これ読んで、自分だけじゃないと分り涙したと書いてある。(両方ともおかーさんの話です)

前にも書いたと思うが100人に1人が発症し10~20代で起きやすい病気。

つー事は自分の回りに何人かいてもおかしくない。

考えたらオイラの回りに、この病気だと思われる女性が4人いる。(2人はいた。過去形)

1人以外は自分の病気を自覚していないと思う。

この1人は前にも書いたが精神病院に2度入院した経験ある。

去年の終わり頃だったか、再発しそーになったと電話かけてきたけど、今年になって再発。

ある日、電話かかってきたが、早口で何を言っているのか分らなかったが、内容的には否定的なもんでは無く肯定的だったので、さほど心配はしなかったが再発した事実感した。

mixiチェックしたら、コメント立て続けに書いていた。

その後、連絡パッタリ途絶えが、三ヶ月ぐらい入院していたと電話かかってきた。

病名は躁病統合失調症とか言っていた。(ある部分だけ妄想が入っているのは分っていたけど単なる躁病かと思っていた)

100人に1人いるというんだから別に特殊な病気ではないけど症状に寄ってはかなり面倒な病気。(昔は精神分裂症と呼ばれていたが、こっちの方が分りやすいと思うな)

自覚してない人の方が多いので、なかなか病院に連れて行けないかも。

とにかく話していて、話が噛み合ない人。(言っている意味がよくわからない)

そんな事ある訳ないじゃんと思うよーな話を真面目にしたら、要注意。

アイスランド(確か)に飛行機で行って帰ってくるだけでいいと言う話があるけど、代わりに行く?と言って来た音楽関係者(ラテン系)がいたけど、こいつも統合失調症かもしれない。

こんな話ある訳ないじゃん。(本人から行って来たと言う話も聞いてない)

これ以外にも、夜中に電話してきて1人で歌を歌っていた(気持ちわりー)

電話で自分の書いた原稿を読み上げ自画自賛。(誰も評価してくれないから)

こんな事やってる人は、もーいない時代だったが留守電の伝言にBGMを入れていた。(ダセー)

言っている事が、ほとんどビッグマウス(大ボラ吹き)だったので、うんざりした。

一時、しょっちゅう電話かかって来たが、こーゆー奴に関わっていると、こっちの人間性を疑われるので、おさらばいたしました!。(貸した本三冊帰って来ない。ほとんど盗人のよーな奴だった)

とにかく総合失調症的症状がある人は、とっとと病院に連れて行った方がいいです。

ある人のおかーさんは、娘を早く医者に連れて行けば良かったと後悔しているそーです。

しかしこーゆー風に、マスコミが取り上げてくれれば、メジャーな病気になり病院にも行きやすいと思う。

パニック障害の知り合いが、自分の病名知るまで自分の行動が、どーして起こるのか分らなかったので辛かったと言っていた。

 自覚がある方が辛い。

自覚が無い場合、相手が辛いのであります。

 強迫性障害だって同じ。


この本に出会うまで、昔、自分がやってた行動が何なのか分らなかった。(この本知った時、直っていたけど)

日常生活には支障なかったので、さほど重傷ではなかったと思われる。

原因は、よく分らないそーだが、自分だけじゃないんだ!と言うのが分ってホッとした。(色んな症状があるのでビックリした)

イラは、とっくに公表しているけど中学生の時、めちゃ、この病気に悩まされた。

今は確認症が残っているぐらいだが、これは子供の時に高樹町の親戚の家に両親と行った時、タクシーの後部座席の後ろにケーキを置き忘れちゃったのがトラウマになっているんだと思う。

忘れたからって両親に怒られもしなかったが、自分にめちゃ腹が立ったのを記憶している。

因みに強迫性障害はサッカーのベッカムも公表しております。












全部当たり!。

2012-09-04 | MUSIC・MOVIE・BOOK・ART

本とCD到着。

すべてこれがセカンドハンド?と思うほど奇麗。

金子光晴自伝なんぞ「新刊のおしらせ」「愛読者アンケートカード」まで入っていた。

文庫本なので字が小さい。

現在、右目が見えにくいが、ゆっくり読みましょ。

後の2冊は何かと言うと「新編 ビアスの悪魔の辞典」

これは有名な本なので、むかーし拾い読みしていた事あるけど旧訳は近所の本屋でチェックした時、オイラには読みづらく解りにくく感じた。(字も小さいよーな気がした。フォントが好きな感じではなかったかも)

新編を買いたかったが奇麗な古本見当たらなかったので躊躇していた本。

日本史のおさらい

これは一時話題になった「もういちど読む山川日本史」を買おうかと思って本屋で立ち読みしたら、ひじょーに真面目な本で(当たり前だが)、これだとたぶん途中で挫折しちゃうと思ったので辞め、なんとなくアマゾンで買った人のコメント読んでいたら書いてあった本。

こっちの方が読み物としても楽しめそーだったので、これに決定。

字も大きいが嬉しい。

学生時代、なーんも勉強してなかったオイラみたいな人間には、この本のシリーズお薦めかも。

出版社は『現代用語の基礎知識」を出している自由国民社。

オイラが仕事していた「シンプジャーナル」と言う音楽雑誌を出していた会社なので親近感がある。

この雑誌が突然休刊宣言。

下北ロフトでおつかれさまパーティあったが、なかなか盛大でありました。

ミュージシャンも来ていたはず。

前にも書いたが、当時の大越編集長は現在「現代用語の基礎知識」の編集長であります。(大越君、元気かなー!)

とにかく今回お得な買い物したと思っております。

(今回購入した「ケニーランキン」聴きながら)MoiMoi。


 


 



あんな所で無理するバカいるかよー。

2012-09-03 | コラム

昨日のF-1、後列からロケットスタートした車、フライングかと思ったら違ったのね。夢偉がスタートもたもたしていたので後続車が前に出ようとしたのね)

 

あららと思っていたら多重衝突事故発生。

予選2位スタートの小林 可夢偉も巻き込まれ結果は散々。

ベルギースパはスタートすると、すぐにコーナー(右急カーブ)がある。

あんな所で無理するバカいるかよー。

しかしレースは中断されず続行。

一瞬、鈴鹿でセナとプロスト、スタート直後、1コーナーでガチャンコやったレースを思い出しちゃいました。

あの時、とーぜんスタートやり直しかと思いトイレに行き、メディアセンター寄ったら、レース継続している事判明

あわてて所定位置(ピット)に戻った。

一瞬でワールドチャンピオンが決まっちゃった、あのレース。

セナとプロストのバトルを観に来ていたお客さんがほとんどだったと思うので、高い金出して観に来ていた人達にはふざけんな!状態だっだと思う。

帰ったお客もたくさんいたかもしれないけれど、最後に意外な結末が。(せっかく観に来たんだから最後までいなさい)

ピケ優勝(ピケは好きなレーサー),同じくブラジル人のモレノが2位、そして三位に鈴木亜久里。(日本人初の表彰台)

モレノはピケのお陰だと泣いていたが、なんか人間ぽくって、よかったなー。

オイラ、さほどレースに興味がなかったので、ほとんどなーんも知らないけれど、レーサーには興味があった。

だってスタートしたら戻って来ないかもしれない。(途中で事故って死んじゃうかもしれない)

レースに関わってた時期は、さほど長くないけど知り合いの日本人レーサー2死んじゃった。

さて話をスパに戻すが、あそこは高低差があるので一コーナーから、ものすごいスピードで駆け上がって行く。

一番高い所からスタート地点を覗いた事あるけど、ホント小さく見えた。(写真撮ったと思うが)

懐かしーなー、ベルギースパ・フランコルシャン

ホテルもプチホテルでシャワーのみ。

1階がオープンカフェバーみたいになっていたが、カウンターに座り、ビールのグラスを洗っているのを覗いてみたら、ブラシみたいなのが下から幾つも突き出ていて、そこに差し込み洗うだけだったのでビックリ。

上品なレストランでも食事したが、一番嬉しかったのは、当時参戦していたミナルディのチームマネージャーの佐々木さんにランチ招待された事。

ピットの裏で、チーム関係者と一緒にテーブル囲んで食事。

イタリアンだから、めちゃ楽しそーに食事する!。

ミナルディのレーサーはパオロ・バリッラ

イタリアでパスタと言ったらバリッラ。

つまり彼は、ここの御曹司。

バリッラのシェフが料理作りに来ていたから、めちゃ旨かった!。

こんときフェラーリは、豚だか牛だか何だか分りませんけど一頭丸ごと焼いているのを見かけましたが、ランチに招待されませんでした。(残念)

当時参戦していたホンダにはお米が用意してあり日本からの取材陣が、ご飯を食べていましたが、イタリアのほーが、めちゃ美味しかった。

当時のホンダの監督が、食事に群がっている日本人を観て「ここは難民キャンプか!」と言っておりましたけどね。

さて、昨日のF-1、あんまりなので、しばらくしてテレビのスウィッチ切り寝ちゃいました。






色んな角度から撮ってみました。

2012-09-02 | MoiMoi。のCRUISING CAMERA

撮影&編集 MoiMoi。(YCMB/やんちゃでC調マジメにバカやる放送局)SONY-DSC-HX5V使用

朝8時過ぎに横浜中央市場出没。

サシミ、穴子、ホタテ、ホッケなどゲット。

15日に市場でやるプロレスの話を市場の人にするが、やるみたいねぐらいの反応。

関連棟に1枚、ポスター貼ってあったが、ジャストミート(生ハム屋)の社長に『そー言えば、そこの角に貼ってあったよーな気がする」と言われなければ分らないよーな貼り方。

市場としては、人に来て欲しいんじゃないんすか?。

宣伝しなくても人来るのか?。

まっこちとら関係ないけど。(最近は客に徹しております)

一旦帰宅。雨が降ってきたのでどーしましょと思っていたら、坪倉パパから電話。

『磯ちゃん、ヨコハマ創造都市センター(YCC)でやってる「失われた街(3.11のための模型復元プロジェクト展)」の今日のスケジュール知ってる?』(こんなに詳しく言ってなかったが)

「坪さん、実行委員会の人でしょーが!」

「だって1度しか会議出てないモーン」

「調べてpcに送るけど、行くなら車に乗せてって」

てな訳で、2時過ぎに迎えに来てもらう。

JICAにいる小泉さんも坪さんの事務所に来ていたので、一緒にいざ桜木町へ。

せっかくだからYCC1階に展示してある模型から撮影。

坪さん一旦事務所に戻るが、オイラと小泉さんは3階でやってるシンポジウムに突入

オイラは3階にある模型撮影した後、ユースト生中継していた水鏡さんと会場外の受付前で、おしゃべり。

小泉さんがユースト中継などに興味があるので、色々教えて欲しいと言っていたので、そー言う事だったら水鏡さんに聞いた方が手っ取り早いので、シンポジウム終了後、紹介。(水鏡さんも本名、小泉)

今月やる、ビデオ講座に参加したらと提案。ウィンドウズ使ってやる講座なのでマックユーザーのオイラには関係ないかな)

坪倉パパは6時からやるシンポジウムに参加するので、後でまた来ると言っていたがオイラは帰宅しビデオ編集していたのでありました。

震災で消滅しちゃった街を再現した模型を色んな角度から撮ってみましたが、どーでしょー。




在庫1冊(1枚)だったのね!。

2012-09-01 | MUSIC・MOVIE・BOOK・ART

金子光晴自伝。横浜ビブレにあるブックオフでは売ってなかった。

ダイエーの上にある、でかい本屋にも置いてなかった。

探すの大変なんでブックオフオンライン使いましょ。

どーせ買うなら1500円にして送料無料にしましょ。

さて他に何を買おーかな。

前から買おうかどーしよーかと思っていた文庫本2冊あるので、それに決定。

1500円にするには、あと450円足りない。

どーしよー。

本ばかりに固執していたけどCDと言う手もある。

とっさに思いついたのは、ケニーランキンの『KENNY RANKIN ALBUM」(日本のタイトルが、あまりにもダサイので書きたくない!)

これは、何かあったら買おうと思っていたアルバム。(何度聴いてもホレボレします)

ここでイントロ3曲聴けますが、[YOU ARE SO  BEAUTIFUL]のイントロにしびれない人がいたら、死んじゃってください。

ストリングスに、うっとりしちゃいます。(アレンジ ドン・コスタ!)

これ500円だったので、全部で1550円で落札。(ジョアン・ジルベルトも1枚欲しいのがあるが1500円にするには高過ぎた)

購入手続きした後、このアルバムと金子光晴自伝をブックオフオンラインで検索したら、品切れ状態になっておりました。(ケニーランキンは発売日が新しい方は売っていたけど値段が少し高い)

つまり在庫1冊1枚)だったのね!。

ついてる!。

他の文庫本は在庫有り状態でありました。

今日か明日、届く事でしょ!。





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