モジリア

74歳のブロガー。ギネスを目指す!(^^)!
おじさんが読む「赤毛のアン」

俳句は坐の文学です。皆が集まり句を味わい、句を詠む

2012年01月09日 | 何故 十兵衛は?
12・1・9

当時、認知症と云う言葉はなく、痴呆症と云っていた。

無表情に廊下の隅にじっと、うずくまっている認知症のお年寄りが、
はがきを受け取ると一瞬ニッコリ笑う……

認知症のお年寄りが一瞬でもニッコリ笑う事で人間性を取り戻す。
みどりと茶の色画用紙を切り抜いてのり付けしてはがきに貼る。

たったこれだけの作業にお年寄りが意欲的になる。
こうしてお年寄りの喜び、意欲に係わることが

実は重大な意味があることに10年以上経ってから気が付いた。
 

お便りぶんぶんのボランティア活動が注目されるようになり、
鎌ヶ谷市の基本政策を策定するレインボープラン21に
ボランティアグループから提案するよう市から依頼があった。

ボランティアグループから約20人のメンバーに集まってもらい、
座談会形式で意見を集約して市へ提言することになった。

座談会の司会は私が担当した。

座談会を開催するに当たって、
最初に参加者一人一人が発言することが大事だろう、と考え

あるパフォーマンスを思いついた。

「老いの身に故郷ありて栗とどく」の句をホワイトボードに書き、
作者は男だろうか、女だろうかを質問、一人一人に答えてもらった。

多分作者は男性説が多いだろう、と予測してのことだった。

実際は参加者全員男性説だった。司会の私は、

「残念でした!作者は松本つや女、女性でした」とオチをつけ、
盛りあがったところで次の話題に移る予定だった。

「じゃァ、老いの身って作者のご主人?……」と疑問を呈する人がいた。

女性が自分自身を老いの身って詠むことが私は不思議だった。従って、

「老いの身」を作者自身ではないく作者のご主人、と捉えるのは面白い着想だと思った。

「作者の父親だと思います!」とキッパリと断定的に発言する人がいた。
作者のご主人と捉えると間接的に自分も老いの身の範疇、

父親とすると「老いの身」っていう表現が自然に受け止められる。

「老いの身に故郷ありて栗とどく」

父親であろう人の人柄や故郷とのつながり具合まで想像できる本当に良い句だと思った。

ここで話を打ち切ってしまうのが勿体ないように思った。

老いの身って何才、故郷って何処、今住んでいる所は、職業は、同居している、していない……等々
正解の無い質問を矢継ぎ早に投げかけた。

大学の教授から大工の棟梁まで、
田園調布から江戸川区小岩まで、

故郷に至っては栗の産地があろうが無かろうが、ほぼ全国に跨った。

年齢だけが80才代で一致した。

俳句は座の文学と云われる一端を味わった気がした