奇跡講座ワークブック編(785日目くらい)
【レッスン300】 ほんの一瞬しかこの世界は続きません。
手放す、といっても物理的にやってみてもそれは手放したことに
ならんよな。一時期そんな気持ちになっても、しばらくすると
後悔してみたり。。だから、何も無理することないのでしょうなぁ。
でもあとあと、あれってまずかったかな?とか思うんだもんね。。
週1、木曜日、父のところへ行って掃除をすこーしずつやろうか
と思ってますが、それで父の皮膚の状態もよくなるんじゃないか
と思ってますが、果たして父がそれを望んでいるのかどうかという
ところで、迷ったり。父の拒否も自我、私の掃除をしたいも自我。
そこに、姉やヘルパーさんたちの思惑もあったりなかったり。
姉は極力実家を避けてる。父は姉を呼ぶ。ヘルパーさんたちは
姉妹に入って欲しいと思ってる(父にてこずってる)。私は
ヘルパーさんたちの要求には応えられない。父を説得できない。
姉も説得できない。全てしてきた結果がこれ。
そして、ヘルパーさんたちの要求を直に受ける姉は私に電話する。
私は拒否。するが完全には出来ず、とりえあえず実家へ行ってみる。
これは何なんだろうか。
ヘルパーさんたちは対価を得ているから、私が行って掃除する意味ある
だろか。父がもし寂しかったりすれば行く意味あるが、来ないでと
言われている。掃除もやらんでと言われる。。。ことば尻だけで
判断していいの?と自我は問う。やるべきことがあるだろうと煽るのは自我。
やることないというのも自我。
親の扶養義務を怠ってる、という世間の批判に耐えられるかな?
姉の耐えられない具合が私への電話。→ 父、拒否
私の耐えられない具合が掃除。→ 父、拒否
ヘルパーの意見よりも父の意見を尊重するとすべてが固まる。
父の怒り、悲しみ。それは、皆のもの。私はどうすべきだろうか。
いつも聖霊に訊きます。