「どんな理由があれど怒りは絶対に正当化できるものではない」
この真実の言い回しについて、私の解釈はやっぱり違っています。
私は「正当化できるものではない」を、「正当化してはいけない」と
捉えてしまうので、どうしても、でもでもだって、が続きます。
ただ、「できない」と断言しているのであって、しようにもできない
という理解に至らない私。今でも、ふたつの意味合いにえーっと?
となっております。本当に、責任感の度合いで、解釈が幅広くなる。
私は未だに、何か(多分自我、または架空の誰か)によって自分を
制限されているという考えのようです。だから、最初の文を、
「正当化してはいけない」とか「しない方がいい」と解釈してしまう。
「恐れることは何もない」という文言もそうだった。
まるで、誰かになだめられているような気になる文言。しかし、
「恐れるべきことは何もない」という真実を言っているだけ。
恐くないよ、と言われているわけではないのに、そう捉えてしまう。
とても不思議な解釈の仕方、だな、我ながら。
いつも娘の宿題のプリントを一緒にやるときに、説明すればするほど
伝わってない感じがするのは当然だなと思う。そんなときは私が
暴走してるだけ。
似たような問題で「ここが正解なのに、なんでここ間違う?」的な
とき、「わかってたのに何でこれ書いちゃったんだろう?ってときあるよね」
と娘に言ったら、娘はそうそうと言いながらとても喜んでいた。
いつも娘のこんな顔、見れたらいいけど・・・。今、図書館で借りてきた本
について、「お母さんと一緒には見たくない」と言われております。ラジャ
それにしても、昨日テレビでみた、『インサイドヘッド』
ずるいな、大人の映画だよ、あれは。朝、話してまた泣いた。
「楽しいともだち、ビンボン、ビンボン!」
うわ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー(泣き
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