今日も暑い一日でした。「ソルダム」という種類の摘果をしました。
例年は授粉してもそれ程たくさん実がつかないのに・・・今年はどうしたことか
鈴なりに実がついています。
これを一粒一粒、間隔を考えながら実を落としていきます。
もう樹齢30年以上の木です。一本片づけるのに一日費やしてしまいます。
早朝、実家の面々がまたまた「チャコ」(ロックの天敵)と共にやって来ました。
父の命日には毎年お墓参りに来るのです。明日の朝早々に帰ります。
父は高貴高齢者と呼ばれる立場にならないうちにこの世を去りました。
真面目に働いて掛け続けて来た年金をもらうことも無く、介護保険の世話にもならず・・・
そういう人たちの年金もたくさんあるはずです!収支報告をしてもらいたいですね。
でも・・・こんな時代を知らずに逝ってしまって良かったのかも知れません。
若い人たちが高齢者のためにどれだけ負担しているのかを分かるように明細書に
記載するようにするそうです。それは何の意味があるのでしょうか・・・?
「お年寄りのために俺達の負担がこんなにあるんだ!やってられないよ!」
そんな風に若い人たちが思ってしまうのでは・・・?
米軍のためには「思いやり予算」なるものがあります。自国のための思いやり予算は?
{お年寄りに思いやりを」は日本人の精神ではなかったのでしょうか。
父は若い頃からお年寄りを大切にしてきました。慕われていました。
人を差別しない、人の悪口を言わない、父のそんな姿を誇らしく思っていました。
不器用で無愛想な父でしたが・・・いるだけで安心できる存在だったような気がします。
孫である私の息子と妙に気が合い、よく一緒に出かけたりしていました。
父が火葬されるとき、扉の前で涙を流し続けていた息子の後姿が思い出されます。
命の終わりは納得できるものではありませんでした。
病院と争っても勝ち目はありません。命が還ることもありません。
人それぞれの人生、命の終わりも様々です。天寿を全うするとは・・・?
何年たっても命日に想う事は変わらないのです。父はあの時のまま胸の中にいます。
せめて母には長生きして欲しいと願います。