行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

カリスマはいらないのが仏教

2024年04月02日 | 禅の心
日本人はクリスマスは盛大にやるのに釈迦の誕生日をやらないのはけしからん、というような声を聞きます。そもそもイエス・キリストはキリスト教の教祖でいいと思いますが、釈尊は法(ダルマ)を発見した人です。ニュートンが万有引力をする前から万有引力はありました。釈尊ももともとあった縁起などの法則を発見しただけなのです。
釈尊は自分を崇拝せよとは言っていない。
自分をよりどころとし、法(ダルマ)を拠り所とせよ
と言っているわけです。
キリスト教徒はイエス・キリストの教えを拠り所とすべきでしょう。しかし仏教は違うのです。




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哲学や宗教が権威になってはいけない

2024年03月15日 | 禅の心

雲門が「仏様は糞かきべら」だと言ったり
南泉が猫を斬ったり
一休さんが不動明王に小便かけたり
蜷川新右衛門がお迎えに弓矢を弾いたり
宗教が権力になったり権威になってはいけないということです。
哲学者も宗教家も自分の思想や主張が一番だと思っている人が多いことでしょう。
自分は悟ったのだ、自分は凄い境地に達したのだと思うのは魔境に入ったのであり、禅なら野狐禅です。
逆にわざとらしく謙遜してみせるのも同じことです。
天狗になっても逆さ天狗になっても宗教家や哲学者は毒をまき散らすだけです。
華厳経の「事々無礙法界」はみんなつながっていて、しかもみんな中心の世界ということです。神とか仏とかいらない世界です。
脱宗教こそ究極の宗教の姿でしょう。

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哲学とは常識をわかりにくい言葉で表現したもの(ゲーテ)

2024年03月12日 | 日記など

哲学も宗教も多くの人には必要ないものなのかもしれません。
哲学や宗教が必要な人も多いと思いますが、必要な人には必要なのです。

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自分とはやっかいなもの

2024年03月08日 | 日記など
【自我とはやっかいなもの】
○「死」とは何よりも自分自身との別れである。
○プライドをもたなければプライドをは壊れない。
○自信を持たなければ自信はなくならない。
○無我になることはできなくても、自我を小さくすることはできる。自我は小さい方が楽に生きられる。

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取扱い注意の本でしょう

2024年03月05日 | 日記など
橘玲さんに心酔、傾倒している人は多いと思います。この『もっと言ってはいけない』は、遺伝について書かれていますが、読み方を間違えるととても危険な本だと思います。読者の論理的思考と感性が問われる本で、危険な優生思想とニヒリズムに陥ってしまいます。もちろん著者の橘玲さんには悪意はないのですが、読者の力の問題です。


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一休さんと蜷川新右衛門の現実主義

2024年03月01日 | 禅の心
下の一休さんと蜷川新右衛門の逸話は、禅の特色をよく表しています。つまり、極楽浄土も神通力も迷いだとかんがえているわけです。極楽浄土は浄土宗、浄土真宗、不動明王は密教の象徴ですが、一休さんは浄土真宗や真言宗に反発していたわけではありません。一休さんは年下の蓮如上人を尊敬していたようです。お迎えが見えるのも神通力も魔境だと考えていたわけです。
《魔境に惑わされない》
○一休さんが琵琶湖で船に乗っておると、同乗していた山伏が、
「ワシは神通力をもっておるんじゃ。今から奇跡を起こして進ぜよう」
と自慢げに言うておった。
○山伏は船の舳先に不動明王を出したんじゃ。
○船の乗客はみんな驚いて拍手喝采を送ったんじゃと。
○それを見ておった一休さん、不動明王の前に歩み寄ると、
こともあろうか一物を引き出して、不動明王に小便をかけてしもうた。
○不動明王は消えてしもうた。
○一休さんいわく、これはそなたの迷いのなせるわざ、魔物は消しておかにゃあ。
○一休さんの弟子となった蜷川新右衛門の臨終の折に、お迎えの仏様が現れたんじゃと。
○新右衛門は最後の力を振り絞ってお迎えの仏様に弓矢を放ったんじゃ。
○仏様はすっと消えて新右衛門は息を引き取ったんじゃ。
○一休さんの弟子らしい最後じゃった。
○江戸時代の禅僧、鈴木正三にも同じような話があるが、奇跡は人間の迷いが作り出すものなのじゃ。
○魔境に惑わされてはならぬ。

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殺してはならぬ殺されてはならぬ

2024年01月12日 | 仏の心
すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれ
る。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめては
ならぬ。(129偈)
すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)に
とって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺し
てはならぬ。殺さしめてはならぬ。(130偈)
己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはな
らぬ。
自分が殺される側の身になって、殺してもいけないし、
殺させてもいけない。殺人はもちろんですが、戦争は権
力と正義の名によって行われる殺人です。自分が殺さ
れるときのことを想像すれば、考え方が変わってくるで
しょう。
「老人は集団自決せよとか」「人生定年制」とかという心ない言葉がインターネット上では飛び交っています。誰もがいずれは老人になっていくのです。そのときに自分が「集団自決せよ」「定年制だから死ね」と言われてどう思うかという想像力のない人が少なからずいるということです。



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三鬼大権現の教え

2024年01月09日 | 空海 真言宗 金剛峯寺
【誰でも残虐になれる】
宮島をはじめ、広島湾周辺には三鬼大権現がまつられているお寺があります。
鬼とは自分の心の一面、怒り、欲望、憎しみの象徴なのです。
戦争は決して戦争好きな人だけが起こすわけではありません。
ふだん平和を唱えていても条件がそろえば(縁があれば)戦争に加担してしまうのです。
誰にでも残虐性があるし、縁さえあれば残虐になれるし、人殺しさえしてしまうのです。
自分は聖人君子だと思っている人、自分は善良で悪いことをしないと思っている人が危ないのです。
自分の中の残虐性、ドロドロした欲望、燃え盛る怒り、憎しみに気づくことが三鬼さんの教えなのです。
【三鬼大権現】宮島の三鬼大権現とは何か。仏教には仏凡同居(ぶつぼんどうご)という考え方があります。白隠禅師の「衆生本来仏なり」ということです。煩悩を持った人間がそのまま仏になれるのです。人間の煩悩こそ鬼としてたとえられるもので、大日如来、虚空蔵菩薩、不動明王が三つの鬼として仮りの姿になって現れたのが三鬼大権現なのです。煩悩があるからこそ人間は仏になる可能性があるのです。
ちなみに、三鬼大権現は、宮島、大聖院の他、広島市東区の松笠山、安佐北区の福王寺山、西区の三瀧寺などにもまつられていますが、広島だけの信仰のようです。



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縁起あっての仏法

2024年01月05日 | 仏の心
【縁起あっての仏法】
先祖供養は必要ないのではなく、先祖の誰か一人でもいなければ、自分はいないということを知ることが大切です。それが本当の意味での先祖供養ということです。先祖とは血の繋がりではなく、自分の縁なのです。
仏法の大樹 縁起の幹より 諸法無我 諸法実相 諸行無常の枝がいずるなり



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ご先祖とは何なのか

2024年01月02日 | 仏の心
【ご先祖とは何なのか】
○結論からいえば10代以上前の先祖からは遺伝子を受け継いでいない可能性が高いです。
○染色体は遺伝子を含んでいて、体の細胞に46本あります。
○自分は両親(1代前)から23本ずつの染色体を受け継いでいます。
○祖父母(2代前)からは11本か12本ずつくらいの染色体を受け継いでいることになります。
○曾祖父母(3代前)からは6本程度染色体を受け継いでいることになります。
○6代前になると、一本も染色体を受け継ぐことのできない先祖が出てきます。
○しかし精子や卵ができるときに、乗り換え→組み換えという現象が起きます。
○組み換えにより、1代ごとに71人ずつ染色体を受け継ぐことのできるご先祖の数が増えます。
○10代前のご先祖は1028人いることになりますが、染色体を受け継ぐことのできるご先祖は
46+71×10=756人になります。
○9代前まではほぼ全てのご先祖から染色体を受け継ぐことができますが、10代以降、染色体を受け継いでいないご先祖が出てきます。
○これが20代くらいになるとほとんど染色体を受け継いでいないことになります。
○ご先祖の数は1代ごとに2倍ずつ増えていきますが、日本の人口を大きく越えていくことになります。実際にはそんなはずがなく、染色体が混じりあってきたことを意味します。
○あるところから家系とか先祖というものに意味がなくなり、今いる日本人の祖先はみな同じということになります。




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