行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

自然は優しく恐く

2021年11月12日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
老荘の「無為自然」はいい言葉ですが、よく考えてみるととても恐い言葉だと思います。無為自然の中には宗教などいらないからです。親鸞聖人の「自然法爾(じねんほうに)」にも私は好きな言葉であるとともに一種の怖さを感じます。河豚の毒のようなその怖さこそ親鸞聖人の魅力です。そしてすべてを焼きつくしたあとに残る「南無阿弥陀仏」が強烈に光を放つのです。
「諸法実相」も道元禅師の「溪声山色」も破壊的なエネルギーを持った言葉だと私は思うのです。

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南無阿弥陀仏

2021年11月05日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
「死ぬのは怖くない」とか「病気と仲良くする」というのは若い頃の単なる言葉遊びだったことに気づく。老いも病気も死も本当に苦しいと思ったとき「南無阿弥陀仏」の六文字が生きてくる。禅家の中に老後に念仏に向かう人がいるのもよくわかる。

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南無阿弥陀仏

2021年11月05日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
「死ぬのは怖くない」とか「病気と仲良くする」というのは若い頃の単なる言葉遊びだったことに気づく。老いも病気も死も本当に苦しいと思ったとき「南無阿弥陀仏」の六文字が生きてくる。禅家の中に老後に念仏に向かう人がいるのもよくわかる。

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仏に逢うては・・・

2021年11月02日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
人々の憎悪、マイナスの感情を吸収して大きくなった政治家や宗教者を警戒する。私には個人崇拝はいらない。(もちろん釈尊も宗祖も)崇拝するのは仏心であり法(ダルマ)仏に逢うては仏を殺し・・・

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科学的思考

2021年10月12日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
科学的思考のできる人は断定的にものを言わない。スタッドレスタイヤも人間ドックも万能ではないことがわかるのが科学的思考のできる人。

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