老荘の「無為自然」はいい言葉ですが、よく考えてみるととても恐い言葉だと思います。無為自然の中には宗教などいらないからです。親鸞聖人の「自然法爾(じねんほうに)」にも私は好きな言葉であるとともに一種の怖さを感じます。河豚の毒のようなその怖さこそ親鸞聖人の魅力です。そしてすべてを焼きつくしたあとに残る「南無阿弥陀仏」が強烈に光を放つのです。
「諸法実相」も道元禅師の「溪声山色」も破壊的なエネルギーを持った言葉だと私は思うのです。
「諸法実相」も道元禅師の「溪声山色」も破壊的なエネルギーを持った言葉だと私は思うのです。