行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が 善悪 について語る

2011年01月28日 | 禅の心
○人間、誰でも「善」の部分と「悪」の部分を持っている。

○凶悪な犯罪者にもなにがしかの「善」の部分はある。

○ちょっと哲学をかじったやつから、よく「仏教は性善説ですね。」と聞かれるが、仏教は性善説ではない。

○「それなら仏教は性悪説ですか。」と聞かれるが、仏教は性悪説ではない。

○仏教は性善説でも性悪説でもない。そもそも、性善説、性悪説というふうに分けて考えることを仏教では好まない。

○人の心は鏡のように清浄なものだと考える。それを仏性とか仏心とかと言っているのだ。(でも、これは性善説ということではない。)

○しかし、鏡がチリやほこりで曇ってしまうように、人の心も曇ってしまうのだ。

○そのチリやホコリを除くために、修行をしたり、真言や念仏を唱えたり、坐禅を組むのだ。

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