「大いなるものにいだかれあることを けさふく風のすずしさに知る」
山田無文老師が若かりし頃、河口慧海師していたときに、無文老師が結核を患ってしまいました。そのころ、兄も同じ結核で他界してしまい、自分もそう長くはないと思っていたそうです。無文老師が孤独感にさいなまれているある日、庭に吹いてくる風に吹かれながら、「こんな気持ちの良い風に吹かれるのは何年ぶりだろう。私は一人ではなかったのだ。空気という大いなるものに生かされておるではないか。」としみじみ思って、詠んだのがこのうたなのです。
私たちは生きているのではなく、生かされているのです。私は怪我をしたときに膿が出てくるのを見て思いました。膿は外敵と戦った白血球の死骸です。どんな状況下でも自分を守り生かそうとしてくれるものがある。死の直前まで。私たちは大いなるものに生かされているのです。
山田無文老師が若かりし頃、河口慧海師していたときに、無文老師が結核を患ってしまいました。そのころ、兄も同じ結核で他界してしまい、自分もそう長くはないと思っていたそうです。無文老師が孤独感にさいなまれているある日、庭に吹いてくる風に吹かれながら、「こんな気持ちの良い風に吹かれるのは何年ぶりだろう。私は一人ではなかったのだ。空気という大いなるものに生かされておるではないか。」としみじみ思って、詠んだのがこのうたなのです。
私たちは生きているのではなく、生かされているのです。私は怪我をしたときに膿が出てくるのを見て思いました。膿は外敵と戦った白血球の死骸です。どんな状況下でも自分を守り生かそうとしてくれるものがある。死の直前まで。私たちは大いなるものに生かされているのです。