至道無難禅師の道歌集より、
身の科(とが)を己(おの)が心に知られては
罪の報いを
いかが逃れん
たとえば、人殺しをしたとしましょう。
完全犯罪のつもりで、絶対に捕まらないと思っていても、
自分の中に罪の意識が芽生えてくることがあるものです。
良心の呵責というものです。
誰も見ていなくても、自分の中の本当の自分は見ているのです。
これが仏心というものです。
身の科(とが)を己(おの)が心に知られては
罪の報いを
いかが逃れん
たとえば、人殺しをしたとしましょう。
完全犯罪のつもりで、絶対に捕まらないと思っていても、
自分の中に罪の意識が芽生えてくることがあるものです。
良心の呵責というものです。
誰も見ていなくても、自分の中の本当の自分は見ているのです。
これが仏心というものです。