松原泰道師の言葉から
私が早稲田大学の学生だったころ、教育学部の教授に原田実という方がいらっしゃいました。
先生はクリスチャンで、教育のセオリーはすべてキリスト教思想でした。
先生がつねづねおっしゃるのは次の一点でした。
「人間が生まれてくるのは偶然ではなく、
神の心をもって生まれてきている。
その神の心がどこにあるかを引き出すのが教育というものである。」
だから、知識だけを教えるなら教師は労働者でいいけれど、
神の思し召しを引き出すのは、神を信ずる者にして、初めてできること。
それが教育者であるという考えです。
その考えに基づき、先生は、
「教師は、労働者ではなくやはり、聖職者でなければならない」
ともおっしゃっていました。
仏教でいうならば、仏の願い、本願を引き出すということでしょう。
卒業の時の最後の授業に、先生は黒板に「随人観美」と書かれました。
そのときの印象は、今も鮮烈に私の胸に残っています。
人に従って美をみよ
私が早稲田大学の学生だったころ、教育学部の教授に原田実という方がいらっしゃいました。
先生はクリスチャンで、教育のセオリーはすべてキリスト教思想でした。
先生がつねづねおっしゃるのは次の一点でした。
「人間が生まれてくるのは偶然ではなく、
神の心をもって生まれてきている。
その神の心がどこにあるかを引き出すのが教育というものである。」
だから、知識だけを教えるなら教師は労働者でいいけれど、
神の思し召しを引き出すのは、神を信ずる者にして、初めてできること。
それが教育者であるという考えです。
その考えに基づき、先生は、
「教師は、労働者ではなくやはり、聖職者でなければならない」
ともおっしゃっていました。
仏教でいうならば、仏の願い、本願を引き出すということでしょう。
卒業の時の最後の授業に、先生は黒板に「随人観美」と書かれました。
そのときの印象は、今も鮮烈に私の胸に残っています。
人に従って美をみよ