行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

無我の境地

2017年08月18日 | 仏の心
○京都の妙心寺を開いた関山慧玄(無相大師)さんのお話しじゃ。

○関山和尚は今の岐阜県にあったボロ寺の住職をしとっての。

寺は雨が降るたんびに雨漏りがしとったんじゃと。

○ある日大雨になってひどい雨漏りがしたそうじゃ。

和尚は小僧さんに「早う雨を受けるものを持ってきんさいや」

と言うたんじゃと。

○じゃがお寺には、受けるものは何にもなかったんじゃと。

小僧さんがみんな右往左往しとる中で一人の小僧さんがザルを持ってきたんじゃと。

○関山和尚はザルを持ってきた小僧さんを誉めて、右往左往しとった小僧さんたちを叱ったんじゃ。

ふつうに考えてみればザルを持ってきた小僧さんは馬鹿じゃ。

しかし、禅は何かにとらわれることを嫌うんじゃ。

あるいは誉められるために行動することを嫌うんじゃ。

○今できるベストはなにかと考えたら、ザルを持ってくることしかないんじゃ。

○怒られるかもしれないけど右往左往しているよりザルの方がましと小僧さんは素直に考えたんじゃね。

○役には立たないが小僧さんの無我の心を誉めたんじゃ。

○誉められるために何かをするというのは禅的な生き方ではないんじゃ。

○花のように無我で生きることは難しいかの。



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