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破草鞋は『碧巌録』の第十九則にみえる言葉です。
破草鞋はやぶれたわらじのことです。
宮沢賢治の『11月3日』の詩に、
「みんなに、デクノボーと呼ばれ
誉められもせず」
の一節があります。デクノボーとは、木の人形のことで、役立たずのことです。
破草鞋も役立たずです。
本当に優れた人というのは、自分の力でことを成就しようとは思っていません。
必ず、神仏の加護や周りの人々の協力があって物事はうまくいくと考えています。
自分の力を過大に評価しないのです。
自分はすごいと鼻高々に威張っている人は、小さな器の人です。
謙虚に日々の生活を送っていくことが大事なのです。
破草鞋はやぶれたわらじのことです。
宮沢賢治の『11月3日』の詩に、
「みんなに、デクノボーと呼ばれ
誉められもせず」
の一節があります。デクノボーとは、木の人形のことで、役立たずのことです。
破草鞋も役立たずです。
本当に優れた人というのは、自分の力でことを成就しようとは思っていません。
必ず、神仏の加護や周りの人々の協力があって物事はうまくいくと考えています。
自分の力を過大に評価しないのです。
自分はすごいと鼻高々に威張っている人は、小さな器の人です。
謙虚に日々の生活を送っていくことが大事なのです。
ココが賢治の本質なのでは?
本人は善い行いのつもりでも
周囲には支離滅裂だったかも?