雲門が「仏様は糞かきべら」だと言ったり
南泉が猫を斬ったり
一休さんが不動明王に小便かけたり
蜷川新右衛門がお迎えに弓矢を弾いたり
宗教が権力になったり権威になってはいけないということです。
哲学者も宗教家も自分の思想や主張が一番だと思っている人が多いことでしょう。
自分は悟ったのだ、自分は凄い境地に達したのだと思うのは魔境に入ったのであり、禅なら野狐禅です。
逆にわざとらしく謙遜してみせるのも同じことです。
天狗になっても逆さ天狗になっても宗教家や哲学者は毒をまき散らすだけです。
華厳経の「事々無礙法界」はみんなつながっていて、しかもみんな中心の世界ということです。神とか仏とかいらない世界です。
脱宗教こそ究極の宗教の姿でしょう。