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京都府宇治市
あまり、社会派的なことは述べたくないのですが、私の主観が大きくなりますがお許し下さい。
いじめ、格差社会、クレーマー(不適切な表現ですが、モンスター)など、
現代社会には、様々な問題を抱えています。
いじめや、格差は昔からありましたし、クレーマーも昔からいました。
しかし、一昔(10年以上前)と現代とで、決定的に違うところがあります。
それは、弱い者の視点、弱い者の味方という視点がなくなったことです。
昔は、いじめはあっても、いじめられている側を かばう 人が必ずいました。
しかし、今では、いじめられている者にも いじめられるだけの 理由がある、
いじめられる側 ももっと強くならなければ という強者の論理が大きくまかり通っています。
(もちろん、今も、弱い人をかばう人はいますが、傾向としては少なくなりました。)
格差社会にしても、「貧しいのは、努力しないからだ」的な論調が強くなってきているような気がします。
「自己責任」という嫌な言葉も生まれました。
努力しているのに報われない人も多くいるのは確かです。
昔のクレーマーは、「責任者出てこい」というように、矛先は立場の強い者に向かっていました。
先日、本屋さんで、ものすごい剣幕で店員にクレームをつけている客がいました。
店員は大人しそうな人でしたが、黙って聞いているようでした。
そこへ、少し強面の客が来て、
「あんた、ちょっと 静かにしてくれない?みんな迷惑なんだよ。」
と、ドスのきいた声で言うと、クレーマーはびっくりした様子で、静かになりました。
弱い者には強く、強い者にはとことん弱い人が増えていったような気がします。
クレーマーも、安全クレームと言って、強く言っても安全な相手には、とことんクレームをつける
人が多いそうです。
私は、仏様は弱い者の味方だと思っています。
平安時代に藤原道長、頼通親子が恐れていた、
仏の教えが通用しなくなる、末法の世の中がついにやってきたような気がするのですが。
あまり、社会派的なことは述べたくないのですが、私の主観が大きくなりますがお許し下さい。
いじめ、格差社会、クレーマー(不適切な表現ですが、モンスター)など、
現代社会には、様々な問題を抱えています。
いじめや、格差は昔からありましたし、クレーマーも昔からいました。
しかし、一昔(10年以上前)と現代とで、決定的に違うところがあります。
それは、弱い者の視点、弱い者の味方という視点がなくなったことです。
昔は、いじめはあっても、いじめられている側を かばう 人が必ずいました。
しかし、今では、いじめられている者にも いじめられるだけの 理由がある、
いじめられる側 ももっと強くならなければ という強者の論理が大きくまかり通っています。
(もちろん、今も、弱い人をかばう人はいますが、傾向としては少なくなりました。)
格差社会にしても、「貧しいのは、努力しないからだ」的な論調が強くなってきているような気がします。
「自己責任」という嫌な言葉も生まれました。
努力しているのに報われない人も多くいるのは確かです。
昔のクレーマーは、「責任者出てこい」というように、矛先は立場の強い者に向かっていました。
先日、本屋さんで、ものすごい剣幕で店員にクレームをつけている客がいました。
店員は大人しそうな人でしたが、黙って聞いているようでした。
そこへ、少し強面の客が来て、
「あんた、ちょっと 静かにしてくれない?みんな迷惑なんだよ。」
と、ドスのきいた声で言うと、クレーマーはびっくりした様子で、静かになりました。
弱い者には強く、強い者にはとことん弱い人が増えていったような気がします。
クレーマーも、安全クレームと言って、強く言っても安全な相手には、とことんクレームをつける
人が多いそうです。
私は、仏様は弱い者の味方だと思っています。
平安時代に藤原道長、頼通親子が恐れていた、
仏の教えが通用しなくなる、末法の世の中がついにやってきたような気がするのですが。