行雲流水

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議論なんかやめちゃえ

2021年07月09日 | 禅の心
絵は長谷川等伯(1539-1610)の『南泉斬猫図』と『趙州頭載草履図』です。猫好きの方には申し訳ない話ですが、
南泉禅師のお寺でお坊さんたちが猫に仏性があるか否かと議論しているところへ南泉禅師がやってきて、
「自分が納得できる話をするものがいなければ、この猫を殺すぞ」
猫をつかみあげて言いました。
誰も答えることができなかったので、南泉は猫を斬り殺してしまったというお話です。
そのあと、弟子の趙州禅師が現れたので、南泉は趙州に
「お前ならどうするかね?」と聞きました。
すると趙州は履いていた草履を頭に載せてその場を出ていきました。
私はこの話の真意はわかりませんが、趙州禅師の気持ちはよくわかるような気がします。

「猫に仏性があるか」否かでも「永遠の命はあるか」でも「死後の世界はあるか」でも不毛な議論だと思うのです。
お釈迦様は、わからないことは棚上げされていきました。(無記)
わからないことをわかったように言うことは悪いことなのです。わからないことは正直にわからないと言えばいいのです。
趙州が頭に草履を載せて出ていったのは、猫を殺した南泉への抗議というよりも、趙州のユーモアではないでしょうか。
草履を頭に載せなくても逆立ちして踊ってもよし、裸踊りをしてもよし、議論の場を壊しさえすればよかったのです。
十牛図の最後に布袋さんが出てきますが、私には「悟りなんかどうでもいいじゃないの。楽しくやろうよ」とハハハと大きな笑い声が聞こえてくるような気がします。笑いは緊迫した場を壊します。
答えが出ないことを長々と議論していても時間の無駄です。それよりも今なすべきことをしっかりやりましょう。



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