行雲流水

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一休さんと蜷川新右衛門の現実主義

2024年03月01日 | 禅の心
下の一休さんと蜷川新右衛門の逸話は、禅の特色をよく表しています。つまり、極楽浄土も神通力も迷いだとかんがえているわけです。極楽浄土は浄土宗、浄土真宗、不動明王は密教の象徴ですが、一休さんは浄土真宗や真言宗に反発していたわけではありません。一休さんは年下の蓮如上人を尊敬していたようです。お迎えが見えるのも神通力も魔境だと考えていたわけです。
《魔境に惑わされない》
○一休さんが琵琶湖で船に乗っておると、同乗していた山伏が、
「ワシは神通力をもっておるんじゃ。今から奇跡を起こして進ぜよう」
と自慢げに言うておった。
○山伏は船の舳先に不動明王を出したんじゃ。
○船の乗客はみんな驚いて拍手喝采を送ったんじゃと。
○それを見ておった一休さん、不動明王の前に歩み寄ると、
こともあろうか一物を引き出して、不動明王に小便をかけてしもうた。
○不動明王は消えてしもうた。
○一休さんいわく、これはそなたの迷いのなせるわざ、魔物は消しておかにゃあ。
○一休さんの弟子となった蜷川新右衛門の臨終の折に、お迎えの仏様が現れたんじゃと。
○新右衛門は最後の力を振り絞ってお迎えの仏様に弓矢を放ったんじゃ。
○仏様はすっと消えて新右衛門は息を引き取ったんじゃ。
○一休さんの弟子らしい最後じゃった。
○江戸時代の禅僧、鈴木正三にも同じような話があるが、奇跡は人間の迷いが作り出すものなのじゃ。
○魔境に惑わされてはならぬ。
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