行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が思いやりについて語る

2010年12月14日 | 禅の心
○人は、少しくらい心が病んでいるくらいがちょうどいいのかもしれない。他人の痛みがわかり、優しくいられるから。

○人の心を傷つけるようなやつは、強い人間とは言えない。

○弱い人間だから、人を傷つけてしまうんじゃ。

○思いやりは、上から目線ではダメじゃ。

○思いやりとは、その人になりきることなんじゃ。

○私は、ニュースを見るのも、新聞読むのも辛い。みんな人ごとではないと思うから。

○人ごとではなく、自分のこととして考えるから思いやりになる。

○人間、辛い時ほど感謝の気持ちで生きていけるものなんじゃ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏鷺滝が正義感を語る

2010年12月10日 | 禅の心
○正義も度を過ぎれば悪となる。過ぎたるは及ばざるが如し。

○仏様は、「悪口言うな」「怒るな」とは言っていないんだよ。「できるだけ抑えなさい」と言っておられる。

○弱いから宗教に頼るのではなく、宗教を持っているから人間は強くなれるのだ。

○武田信玄や上杉謙信がお坊さんなのは、最期は仏にお任せすると決めていたから。

○論争とは、正義と正義がぶつかり合っているに過ぎない場合が多いんじゃ。

○「正義感の強い人」というのは、皮肉なことに煙たがられている場合が多い。

○「正義感の強い人」が自分の不義に気づいていない場合が多い。

○私は「正義感の強い人」が悪いと言っているのではなく、何事もほどほどにするのが良いということである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏鷺滝が世間を語る

2010年12月07日 | 禅の心
○自分と異質な者を排除したがるのが世間である。

○みんな、自分や自分の家族以外の誰かが不審者だと思っているが、自分自身が不審者だと思われているとは思っていない。

○「世間一般」というのは一つの権力になりうる。

○徴兵制になれば、戦争に行くのは自分の子供や孫以外の者だと思っているのが、世間である。

○みんな、世間の中で収入や子供の学歴を比較することで一喜一憂しているが、仏様のものさしからすれば、意味のないことなのである。

○世間の意向が間違っていることもある。マイノリティー(少数派)の意見が正しく、マジョリティー(多数派)の意見があきらかに間違っていることもある。

○世間の意向は、権威あるものの言葉に左右されやすい。

○マスコミが、世間一般の意見をつくり出しているところもある。

○世間のものさしは、仏様のものさしと尺度が異なっている。

○だからこそ、釈尊は世間を捨てたのだ。(出世間=出家)

○世間を離れて世間を客観的に見てみると、人々はいかに幸せを失わないように必死になっているかがわかる。

○お金や地位や名誉にしがみついているのが、世間一般である。

○失うものがない者は安らかである。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏鷺滝の言葉

2010年12月03日 | 禅の心

○「人間としてこうあるべきだ」というのは、道徳であり、倫理であるが、
宗教は、「人間としていかに安らかに生きるか」というものを追究していくべきものでなければならない。

○「無神論者」と「無宗教者」とは全く意味が違う。
仏教徒は基本的に「無神論者」である。

○自分は「無宗教者」だと豪語している人は、本当の人生の意味を知ることができないのかもしれない。

○ただ、宗教をもつかどうかは、その人の自由であり、好みである。

○宗教は、社会の荒波を乗り越えていく術を教えてくれる。

○道徳は、いたって論理的であるが、宗教は感性に負うところが大きい。

○道徳は「正しい生き方」を追究するが、宗教は「崇高な生き方」を追究する。

○宗教と呼べるものには、「最終的に大いなる者にお任せする」という共通点がある

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする