行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

一杯の水も仏の涙かな

2016年10月11日 | 禅の心
一杯の水も仏の涙かな

種田山頭火の句です

水の大切さをうたった句ですが

すべてのものに仏が宿るという仏教思想の根本でもあります。

水は命の根源であるので、水がなければ命は生まれません。

水を汚すことは命を殺すことにもなります。

そして、汚れた水を飲めば自分自身の血液も汚れ、寿命を縮めることになります。

山頭火は水の大切さを身にしみて感じているのでした。

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火が涼しいわけがない

2016年10月07日 | 禅の心
心頭を滅却すれば 火も自ずと涼し

6世紀の中国の詩人、杜荀鶴が、夏の暑いさなかに坐禅している悟空上人をたたえて読んだ詩の一部です。

日本では、山梨県の快川紹喜和尚が、織田信長の軍勢に焼き殺されるときに言った言葉として有名です。

世間一般には、「暑さに耐えれば涼しく感じられるものだ」というような解釈がなされますが、

私は違うと思います。

そもそも、禅というものは、ありのままに見るということを重要視しています。

私には快川和尚の「熱くて苦しい」という断末魔の叫びが聞こえてきます。

涼しいというのは、「とても熱い」ということの表現方法だと思います。

熱い、冷たいの相対を超えてしまうと、熱いを涼しいと表現するしかないのです。

禅というのは色気のあるものではなく、「ありのままに感じる」ことが大事なのです。

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怖い顔の仏様

2016年10月04日 | 仏の心
仏像の中には、優しい顔立ちの仏様もいれば、馬頭観音、不動明王、毘沙門天など、怖い顔の仏様もいます。

そのような怖い顔の仏様を戦闘的とみる人もいますが、

あくまでも仏法を守る姿や顔なのだと思います。

自分の都合のいいように真理をねじ曲げようとするのは誰にでもあることです。

最近は、捏造ということばも盛んに聞きます。

仏の教えも勝手に解釈されてしまうことがあります。

先の戦争中は禅の世界においても、禅を戦争に都合のいいように解釈しました。

怖い顔の仏様はそのような仏敵を戒めているのです。

そして仏敵は誰の心の中にもあるのです。

怖い顔の仏様は自分の中にいて、自分の中の仏敵を戒めているのです。

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