行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

山本秀順師が平和を語る

2017年08月11日 | 空海 真言宗 金剛峯寺
私、若いときに、留置所に入れられたことがございます。戦争に反対したからであります。そのときに体験した心と体の関係を申し上げたいと思います。
私が、なぜ戦争に反対したかと申しますと、生き物の命を大切にすることが、仏教の精神だからであります。仏教の精神の柱は「愛情」です。ですから、お釈迦様は二百五十戒、三百戒といわれる戒律の第1番に不殺生戒をもってこられました。戦争は、人を殺せば殺すほど勲章がもらえるわけですから、私は戦争に賛成できなかった。当時、戦争反対者は国賊であります。
6ヶ月間、留置所に入れられ、からだじゅうが、皮膚病に冒されました。薬をくれ、というと、
「国賊につける薬はない」
身も細ってまいります。


【言葉を味わう】
平和を守ることは、生命を尊重すること。山本秀順師は、それをひたすら守り抜いたのです。平和を渇望して、戦争に反対することは、仏教者、宗教者として当然のことであるべきですが、投獄されてまでそれを実行することはなかなかできるものではありません。
平和、不殺生は釈尊の第一の精神です。平和を守ることができないのなら、それは仏教者ではありません。


【山本秀順師略歴】
1912年 生まれる
戦時中、反戦運動に邁進する
1996年 遷化

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葬式仏教批判

2017年08月08日 | 仏の心
(ひろさちや先生の言葉)
日本人の葬儀の基本には、死者を弔うというより、怨霊を沈めるという神道の思想が流れています。だから、葬式から戻ってくると、シオを撒いて清めたりする。あれは死者を穢れとしてみているからなんです。本当をいえば、そんな葬式に行く必要はない。死者が穢れを移すなんてことを、私は信じません。迷信だと思います。そんな葬式はやらないでいい。日本の仏教は神道の影響を受けることによって、まったく変わってしまったのです。(民俗宗教は死を穢れとみなし、世界宗教はそうではないという話の後)日本の仏教は、江戸時代に葬式仏教になってしまった。世界宗教の民族宗教化ですね。せっかく、お釈迦さんによって世界宗教に昇格したのに、いっぺんに堕落させてしまった。こんなの本当の仏教ではないですよ。

【感想】
私は葬式仏教を否定しませんが、お盆やお彼岸に、何のためにお墓参りに行くのか?先祖供養をするためだけではありません。今、自分がここに生きていることを感謝するためなのです。


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浅原才市のうた

2017年08月04日 | 仏の心
わしが阿弥陀になるじゃない、
阿弥陀の方からわしになる。
わしが聞いたじゃありません
わしが聞いたなありません
こころにあたるなむあみだぶつ
いまはあなたに打たれ取られて。
ええな 世界虚空が みな仏 わしもそのなか なむあみだぶつ
わしのこころは あなたのこころ
あなたごころが わたしのこころ
わしになるのが あなたのこころ



【味わう】
 鈴木大拙先生が絶賛していた、妙好人浅原才市(あさはらさいち)は島根県大田市温泉津町で生涯を過ごしました。この歌には、極めて純粋な心が歌われています。阿弥陀仏と自分が一体であったり、宇宙と自分が一体であったりという宗教体験が歌われています。浅原才市の歌の底にあるものは、自分に対する、慚愧と、懺悔でした。自分のようなものが生かされていることに対する感謝の気持ちでした。

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正義と悪は紙一重(老子の言葉から)

2017年08月01日 | 仏の心
絶聖棄智、民利百倍、絶仁棄義、民復孝慈、絶巧棄利、盗賊無有




聖を絶ち智を棄つれば、民利(みんり)百倍す、
仁を絶ち義を棄つれば、民、孝慈(こうじ)に復す、
巧を絶ち利を棄つれば、盗賊あることなし





才能をひけらかさなければ、人民の生活は安定する。
仁義をふりまわさなければ、人民は道徳意識をとりもどす。
利益ばかり追求しなければ、盗みをはたらく者はいなくなる。

過ぎたる正義と、悪事とは紙一重なのです。正義も過ぎれば悪となります。

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