行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝禅話集(133)

2019年12月13日 | 仏の心
○のんびり ゆったり 楽しく

○白黒をはっきりさせない、物事をあいまいにしておく、結論を出さないのは日本人の知恵じゃったのかもしれないね。

○白黒をはっきりさせたがる人が増えたわな。

○曹洞宗には道元さん、浄土真宗には親鸞さんが絶対的存在なんじゃが、臨済宗、黄檗宗はある意味自由じゃね。

○偽物をつかまされたと悔しがることはないよ。自分の心が動かされるものは本物なんじゃよ。

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烏鷺滝禅話集(132)

2019年12月10日 | 仏の心
○悩み苦しんでいる時に「この苦しみはいつか報われるから・・・」とかと他人事のように言われてもね。極端な場合、苦しみがもとで死んでしもうたら報われるも何もないけえの。

○苦しんでいる時に「人生は皆苦だ」とか、大切な人を殺された人に「憎しみを断とう」と達観したような説教されてもな。もっともなことでも時と場合というものがあるんじゃね。

○仏教は虚無主義ではないよ。人間をどこまでも肯定しておるんじゃ。

○死の恐怖におびえている人に「死ぬのは怖くないよ」と言ったところで、他人事でしかない。

○ほんとうに死の恐怖におびえたことのあるものにしか死の恐怖はわからないよ。

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烏鷺滝禅話集(131)

2019年12月06日 | 仏の心
○宗教で自分は人格者になったと思ったら間違いなしに魔境に入っているぜ。

○折伏(しゃくぶく=無理やり自分の宗教に入信させること)というのは人間がやってはいけないよ。愛染明王や不動明王が仏法を破壊しようとするものを説き伏せるんじゃよ。

○「仏界入り易く、魔界入り難し」とは言うが、魔界に入ってしもうた人間は魔界に入ったことに気が付かず、仏界に入ったと勘違いしているんじゃよ。でもな、誰にも魔界に入った人間を連れ戻すことはできんよ。

○宗教は狂気じゃから意味があるんじゃよ。薬だって本質は毒じゃから効くんじゃ。

○小学生くらいになったら、おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったら嫌がっても骨を拾わせろ。言葉で《命の教育》など教えるより、ずっと考えるよ。



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烏鷺滝禅話集(130)

2019年12月03日 | 仏の心
○ワシは皆さんに禅を勧めたり、仏教に勧誘するつもりはない。むしろ、宗教や仏教の危険性についても知ってもらいたいんじゃ。

○自分の信心だけが正しいというのんは正しくない。

○仏法って結局のところ優しい人になるためのものではないのかの。

○自分の中のキラリと輝く宝物に親しむところに仏法の意義がある。神様を拝むのならキリスト教やイスラム教がいい宗教じゃよ。

○「自灯明 法灯明」は一言でいえば、「おかしなものに騙されんさんな」ということではないのかな。

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