行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

無意識の世界のもう一人の自分は騙せないよ

2022年01月11日 | 空海 真言宗 金剛峯寺
「人は常に浄頗梨の鏡に、日夜の振舞のうつる事を思べし。是は隠れたる所なれば、是は心中に窃に思へば人知じと、思ふべからず。曇り陰れなく、彼の鏡にうつる、恥がましき事なり。」(栂尾明恵上人遺訓より)
浄頗梨の鏡とは閻魔さんが持っている鏡です。私はこれは自分の中の本当の自分だと思っています。仏心と言ってもいいし、無位の真人と言ってもいいのかもしれません。無意識の世界の内側にある光輝くものです。誰も見ていなくても本当の自分はすべてを見ているのです。そして自分自身によって裁かれるのです。仏とは遠くにいるものではなく、自分の中にいるものなのです。(写真は宮島 大聖院の閻魔様です。)

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本当の自尊感情

2022年01月07日 | 仏の心
自分のことを賢いと言ったり、他人のことを頭が悪いとか馬鹿とかいう風潮はよくない。それは自分のことがわかっていない人の言うことだから。

本当の意味での自尊感情、自己肯定感が育っていないと、自分を過大評価したり、他人を見下すことによって自分を保つことがある。

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他人を裁くな

2022年01月04日 | 仏の心
他人を裁きたい、他人に罰を与えたいという人は少なからずいると思います。かく言う私も若い頃はそうでした。水戸黄門などの勧善懲悪ものの影響というよりも人間のもっている攻撃性がそうさせるのかもしれません。しかし、自分だっていつ裁かれたり罰を与えられる身になるのかわかりません。人を千人殺す縁があれば人を千人殺すこともあるのです。ちょっとした不注意で多くの人を火災に巻き込んで命を奪ってしまうこともあります。ガス爆発させてしまうこともあります。そうなれば過失だと言っても裁かれることになります。人を裁こうとする人も裁かれる身になりうるのです。仏教に限らず、宗教は他人を裁いたり罰することをよしとしません。社会には涙をのんで人を裁いたり罰する仕事をする人もいるわけですが、それは仕事です。
そんなことを言っていたら世の中悪人ばかりになると言われるかもしれませんが、悪を許さない態度は大切ですが、関係ない人が裁いたり罰したりすることはないと思います。

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