5月に小豆島の映画村(の正面)まで行ったときに見たタイトルで気になったタイトルだったので図書館で借りて読んでみた。あまり整理して書けないが、感想を書いてみよう。
○あらすじ
赤ん坊のころに父(丈博)の愛人(希和子)に誘拐され4年間育てられた恵理菜。自らも不倫相手の子供を妊娠した彼女は、かつて母と慕ったその女性との生活をたどる旅に出る。
(引用元:https://thetv.jp/program/0000045771/1/)
○小豆島の美しさを思い出す
個人的な話。5月の旅行で映画村に至る海辺をサイクリングするなどして、瀬戸内海の解放感と美しさを肌で感じた。希和子の辿り着いた素麵屋さんは土庄港の近くにあったそうめん店のような佇まいであることが想像できたし、
高松のフェリー乗り場、車も載せられる大きなフェリーのことも思い出された。
この小説の中で、小豆島はささやかな幸福の地として描かれている。観光客として来てみても、静かな幸せに満ちていたと思う。
島嶼地域の長閑な雰囲気は人を虜にする力はあったと思う。
○筋と感想
若い頃は同性の作家の本ばかり読んでいたが、あまり選り好みせず女性作家の本を手に取ってみた。
この小説のかなりの部分が母と子という部分を描いているため自分は完全な感情移入は出来ないが、不思議と希和子が一人称で進める筋を追っているうちに彼女の肩を持つような読み方にはなってくる。
ということで希和子が逃げ切って薫と二人で静かに暮らせることを期待しながらページをめくっていったが、結局彼女がコントロールできないところでボロが出て、その願いも失敗に終わる。
この時に希和子は島のお遍路さんを全て回らなかったから失敗してしまったのだろうか…という主旨の語りをするが、これに共感を覚えた。持てる注意力の全てを払って危険を回避し、努力を尽くしたら後は神頼みしかない。それでダメだということは何なのか。他にどうすればよかったというのか。願いの強さが足りなかったのか、という嘆き。
流石に誘拐ではないが、自分も何度か神頼みをしてその頼みが聞き入れられないことはあった。実際こういう気持ちになることはある。
さておき後半は誘拐から解放され家に戻された恵理菜を主人公として話が進んでいくが、読んでいて結構辛い。ろくでなしの男に妊娠させられつつ関係を切れない恵理菜自身がかなりろくでなしに見えるし、両親もかなりろくでなしのため読んでて"なんだよこいつら…"とうんざりしてしまう。
女性作家は、こういう登場人物や不倫・妊娠を描く確率が男性より圧倒的に高いなと思う。
最後に希和子と恵理菜はニアミスするが、結局互いに気付くことなく話が終わってしまう。それでいいのだけど、個人的には彼女らが再会して思いの丈を述べていくシーンが見たくて残念。再開ルート?
マンガやゲームじゃあるまいし、人生にそんなのない。
希和子パートでは、母として子を愛する喜びというものも深く描かれ、
"誘拐した子を育てる"という狂気を除けば、彼女の正義の中で彼女は正しく生きていた。いや、多分誰パートでも、それぞれの人が自分の持っている狂気から目を反らし、自分の正義で正しく生きているつもりなのだった。この異様だが生々しい人間模様もこの小説の渋味といえよう。
○不貞は恐ろしい…主題と関係のない感想
幸い自分にはそういった経験はないが、一度不義をしでかしてしまうと
恵里菜の両親のように、疑念と不安で自滅を繰り返す人生を自分事として捉えなくてはならなくなるのかもしれない…ということに戦慄した。
"不安"を無くすことに人は常に一生懸命。だのにわざわざ自ら不安の種を作るとは。愚かなり。過ちを冒してから振り返っても我々は不安を消すことが出来ないのだ。