今日は 長野日報のニュースが入ったり
生家が 話題の中心でした
何とか 宿もとれたので 14日15日 1泊で帰ります
花ちゃんは 初めての里帰り
今は 良おばさん家が お里見たいですけどね
どんな 感じなのかな
姉ちゃんは えらい喜んでいます
でも 一番 喜んでるのは 二号だったりしてね・・・
今日は 長野日報のニュースが入ったり
生家が 話題の中心でした
何とか 宿もとれたので 14日15日 1泊で帰ります
花ちゃんは 初めての里帰り
今は 良おばさん家が お里見たいですけどね
どんな 感じなのかな
姉ちゃんは えらい喜んでいます
でも 一番 喜んでるのは 二号だったりしてね・・・
今日 峠の親戚から
長野日報に生家の事が掲載されていると携帯に連絡が入りました
記事は
昭和初期、南信日日新聞(現長野日報)に掲載された
風刺漫画や諏訪地方の名士を紹介したコラムの似顔絵の原画が、
諏訪市内で見つかった。
●これもちょっと変な言い回し 生家にあるのだから見つかったのではない
作者は同市神宮寺に住んでいた守矢剣二(本名・憲治)(1899~1931年)。 政治家や医師、製造業、商業などで活躍した人々が登場し、 当時の政財界の様子を知る貴重な資料だ。 守矢剣二の生家は、同市神宮寺でかつて料亭を営んだ「森田屋(屋号・鹿音)」。 「鹿食免(かじきめん)」の木札を所有する鹿肉料理専門店だった。 「諏訪の名士」は18人、 南日に29年(昭和4年)9月4日から11月18日付の「家庭漫訪」「人物月旦」の コーナーに掲載されている。東京の片倉ビルを訪れ、 片倉の重役片倉武雄が机でそろばんを扱う姿、 当時中洲村村長を務めた伊藤祐義、耳鼻咽喉脳神経科の専門医で戯曲家としても 活躍した溝口卓郎も登場する。 「人気の店 微笑で対応している」と長瀬呉服店主・長瀬太郎、 諏訪時計界の覇者で新音楽を諏訪で広めた、 蕗沢時計店主・蕗澤藤治郎なども紹介している。 剣二はある時期から漫画家として南信日日新聞に風刺漫画を連載、 32歳で亡くなり活動はほんの数年だったことが分かる。 日出男さんはあとがきで「作品を眺めていると作品の楽しさに加え、 底を流れる大正末期的もしくは昭和初期的なムードに感心せざるを得ない」と記している
伯父さんは風刺画だけではなく 日常絵も描いていた
射山先生 父の子時分
祖母 そして 写生
実際は 生家と政治家との繋がりや生活環境などが
叔父さんの絵と書簡などを照らし合わせると
もっと時代を知りえるものになるんですがね
父が亡くなって来年で13年になります 節目の年としても
森田屋に関する人達の足跡を纏めたような
三冊目の自作本を作ろうかななんて思っています
今週か来週帰るので こんな事も話の種に皆で楽しくすごそうかな
今回の 集印帖は サイズが小さい 何故か スタンプが混ざっています
昭和10年10月 日光湯元 修学旅行 途次のスタムプ
東武線の駅から始まる
そして 集印となるが
今までの集印帖の4分1位の大きさの帳面となっている