「如瓢の碑」
僕の生家 「松の木の下」に鎮座していた碑 重圧感が凄かったです
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書かれている内容
翁 通称 弥平治 如瓢という号を持つ信州中洲村の人である
その先祖は神長官といい 永禄年間に豊後というものがいて
神長官より分家して 大政所の職につきこれが如瓢の祖先である
如瓢は子供のときから院本(日本の茶番狂言)を愛読し
特に浄瑠璃曲を・・・と続いています
小川平吉氏 中村不折氏の名も彫られている!!
*この松の木は 「御柱祭」時 難所として各町内の腕が試された場所で有名だったようです
父が生きていた頃は 時々 この碑を拓本取りに来る人がいたようです
僕は一度だけ 数人の方が来られ写真
を撮っていった場面を見たことがあります
碑としては 前回記載したように功績をたたえ
中村不折氏が書を書き 石屋が彫たものですが
不折氏と生家は親戚関係にある事から 書面等が数多くあります
不折氏の書を祖父が彫り物にした作品は
僕が言うのも変ですが「素晴らしい」と思います
如瓢の碑と生家について 新聞に連載され その切抜きが手元にありますので
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碑の内容だけを掲載しました
この連載は 生家の歴史を知る上でも 重要なものであると父は言っていました
生家をたたんでしまった今 この碑だけは まだ 庭に佇んでいます
大変貴重なものであり 父が生きていた時 市が他に移動して管理するという約束を
したようですが 守られることはありませんでした
生家をたたむことは 時代の流れの中でしょうがないとあきらめも付きますが
碑を持って来れなかったということに 自分の非力を感じています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)