上野駅v
日本鉄道は、上野 - 熊谷間の開業に先立って、
1882年11月に寛永寺の子院跡約29,800坪を東京府より借り受けて
上野駅の用地としました
1883年7月には同線の仮開業に伴い上野駅を開設し、
同年8月より貨物、10月からは郵便物の取り扱いを始めたそうです。
1884年6月には仮駅舎で開業式が行われ、
1885年に煉瓦造りの237坪の本駅舎がたてられました。
駅舎は、中央の平屋部分に出札広場とコンコース、両翼に待合室を設置した
H型平面の構造で、当時の汐留駅や横浜駅を踏襲した形となっているようです
信濃町駅
駅ビル完成(1992年10月)までは
西隣の千駄ケ谷駅と同様に臨時ホームが下り線南側にあったそうで
この臨時ホームは、1980年頃まで明治神宮野球場で
東京六大学野球などが開催される土曜日・日曜日を中心に使用されていたようですが
次第に使用されなくなった。僕が大学行った頃はまだ使用してたんです
でも悲しいかな野球観戦しなかったので思い出が無いです。
駅ビル完成直後も四ツ谷寄りにホームの一部が残っていたが、後に撤去された。
浅草橋駅
浅草と言えば思い出すのは 渥美清・山田パンダが歌った「浅草日記」と 亀有の両さんです
JR駅の東口周辺は「久月」や「吉徳」などの人形問屋や模型メーカー・卸、
総武線の南側は衣料品といった各種の問屋が
それぞれ集まっていることで知られていjます
浅草橋は 都心と浅草を結ぶ橋で 以前は浅草寺の門前橋(浅草橋御門)でした。
江戸時代には、明暦の大火の時に、
牢獄での非常時の罪人解き放ちを「集団脱獄」と取り違えた役人が門を閉めたため、
なんと「神田・日本橋側から浅草の方」へ避難しようとしていた
一般民衆までもが行き場を失い、2万人以上もの犠牲者を出すという過去もあったそうです