【報じられなかった裏面】韓国の「サイバー攻撃」事件で、報じられなかった事実がある。韓国では「アレア・ハングル」というMS-DOSをベースにした、ハングル用ワープロソフトが70%のシェアを占めていて、世界で唯一MS-OFFICEが首位に立っていない国だということである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレアハングル
1998年、韓国の「ハングル&コンピュータ社」が経営難になり、MS社の傘下に入る決断をしたが、MSからの出資に反対する国民運動が起きて、MS社がM&Aを断念したといういきさつがある。(小針進「韓国と韓国人」, P.139) WIKIにはこうある。
<アジア通貨危機等を原因とする開発元の経営不振により、アレアハングルの開発を中止しソースをマイクロソフトに提供する見返りに資金を提供してもらう契約をマイクロソフトと結んだが、韓国内で大論争となり撤回された。815は1年間の使用権を1万ウォンという低価格で販売したもので、(WINDOWS) 96~97を利用できた。>
つまりその後も、DOS-Vにただ乗りするソフトの開発を続けてきたわけである。MS社だけでなくアップル製品についても同様にコピー商品を開発販売してきている。
MS社はその後、DOS-V, WINDOWS, OFFICE( WORD, EXCEL, POWERPOINT)などのシェル、OS、アプリを発売あるいはヴァージョン・アップしてきた。
当然、MS社は登録ユーザーに対してはセキュリティとソフトのアップデート・サービスを行っているが、韓国の場合、純正のワープロソフトを使っていないので、70%のユーザはそのサービスが受けられなかった。その中に、農協、一部のTV局と銀行があったというわけである。
私も最初はワープロソフトとして「一太郎」を使用していたが、途中でOFFICEに切り換えた。それは一太郎の辞書が別売りになっていて、これまでのユーザー辞書をWORDに組み込めることわかったからである。今は、DOS-V機でなくMACを使っているが、今のMAC OS-Xだと古いDOSの遺産も全部使える。今のATOK辞書には20年近く登録してきた専門用語がそのまま、持ち上がりになっていて、随意に使用できる。パソコンはその間、NECーIBMーMACと変わったが、ユーザー辞書はそのまま使える。
日本でもパソコンは最初、ワープロ専用機として広まった。保存してある「NEWTON別冊:ワードプロセッサのすべて」(1983)を見ると、当時パソコンにMS-DOSを搭載した機種は東芝、日立、松下の3社しかない。「ジャスト・システム」など影も形もない。広告を見ると、富士通のワープロ「THE 文具」一式が48万円である。
NECのPC98 (MS-DOS搭載)用の「一太郎」が発売されたのが、1985年5月である。
ATOK辞書は、当初は独自の用語分類(e.g. 名詞に「サ変」を区別するような)に長所があったが、いまは学習能力に乏しく、連文節の変換が上手く行かないなどの欠陥が目立つように思う。
恐らく、韓国も1998年に盲目の愛国主義により、MS社とのM&Aを白紙解消していなければ、純正WINDOWSに組み込める「ハングル辞書」の開発に成功して、耐えずMS社からアップデート・サービスが受けられ、今回のようなウイルス感染は避けられたに違いない。が、その時世論を煽ったメディアは音無の構えだ。
3/26(火)になって「東亜日報」は米IBM危機管理専門家の意見を伝えている。
<韓国企業の情報技術(IT)分野への対応にも問題があると指摘した。データは海外を含め、複数のところに分けて保存することが重要であるが、企業各社はコスト削減のため、これをないがしろにしているという。特に、サイバーテロの脅威も増しており、このようなデータの分離保存は、基本中の基本だというのがラムジー氏の主張だ。
韓国企業各社のITバックアップや危機への対応レベルを評価を頼まれると、ラムジー氏は、「私が見てきた韓国企業についてだけ言えば、5点満点で0~3点ぐらいだ」とし、「海外には5点満点の企業が多いのに、韓国では1社も目にできなかった」と述べた。>
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2013032652358
自宅の付近に山陽本線白市駅というのがある。急な山麓の狭い場所に無理やり鉄道が引かれており、駅の周囲には発展するスペースがない。列車はトンネルを抜けて駅に止まり、発車するとまたトンネルに入る。明治の頃、山陽道の宿場町だった白市宿はそこから山奥に入った集落である。今は人影も乏しく、昔の民家がそのまま残っている。
聞けば、鉄道を引く話が生じたとき、村の人たちが「牛が怯えて暴れる」と鉄道建設に猛反対したのだそうだ。それでこの集落を避けて鉄道が敷かれた。おかげで列車を利用するには、山や谷を越えなければならなくなった。
隣駅の「西高屋」は多くの団地もでき、ショッピング・モールもできて、大発展しているが、最初のボタンを掛け違えた白市には、もう昔日の繁栄は戻らない。白市より一駅東の「入野(にゅうの)駅」は、最近無人駅になった。白市、入野近辺の団地、工業団地は開発後20年近くになるが、いまも更地が目立つ。広島県はここを大規模ソーラー発電に転用する計画だ。
歴史はこのように「ある偶然」が、その後の展開を規定することが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレアハングル
1998年、韓国の「ハングル&コンピュータ社」が経営難になり、MS社の傘下に入る決断をしたが、MSからの出資に反対する国民運動が起きて、MS社がM&Aを断念したといういきさつがある。(小針進「韓国と韓国人」, P.139) WIKIにはこうある。
<アジア通貨危機等を原因とする開発元の経営不振により、アレアハングルの開発を中止しソースをマイクロソフトに提供する見返りに資金を提供してもらう契約をマイクロソフトと結んだが、韓国内で大論争となり撤回された。815は1年間の使用権を1万ウォンという低価格で販売したもので、(WINDOWS) 96~97を利用できた。>
つまりその後も、DOS-Vにただ乗りするソフトの開発を続けてきたわけである。MS社だけでなくアップル製品についても同様にコピー商品を開発販売してきている。
MS社はその後、DOS-V, WINDOWS, OFFICE( WORD, EXCEL, POWERPOINT)などのシェル、OS、アプリを発売あるいはヴァージョン・アップしてきた。
当然、MS社は登録ユーザーに対してはセキュリティとソフトのアップデート・サービスを行っているが、韓国の場合、純正のワープロソフトを使っていないので、70%のユーザはそのサービスが受けられなかった。その中に、農協、一部のTV局と銀行があったというわけである。
私も最初はワープロソフトとして「一太郎」を使用していたが、途中でOFFICEに切り換えた。それは一太郎の辞書が別売りになっていて、これまでのユーザー辞書をWORDに組み込めることわかったからである。今は、DOS-V機でなくMACを使っているが、今のMAC OS-Xだと古いDOSの遺産も全部使える。今のATOK辞書には20年近く登録してきた専門用語がそのまま、持ち上がりになっていて、随意に使用できる。パソコンはその間、NECーIBMーMACと変わったが、ユーザー辞書はそのまま使える。
日本でもパソコンは最初、ワープロ専用機として広まった。保存してある「NEWTON別冊:ワードプロセッサのすべて」(1983)を見ると、当時パソコンにMS-DOSを搭載した機種は東芝、日立、松下の3社しかない。「ジャスト・システム」など影も形もない。広告を見ると、富士通のワープロ「THE 文具」一式が48万円である。
NECのPC98 (MS-DOS搭載)用の「一太郎」が発売されたのが、1985年5月である。
ATOK辞書は、当初は独自の用語分類(e.g. 名詞に「サ変」を区別するような)に長所があったが、いまは学習能力に乏しく、連文節の変換が上手く行かないなどの欠陥が目立つように思う。
恐らく、韓国も1998年に盲目の愛国主義により、MS社とのM&Aを白紙解消していなければ、純正WINDOWSに組み込める「ハングル辞書」の開発に成功して、耐えずMS社からアップデート・サービスが受けられ、今回のようなウイルス感染は避けられたに違いない。が、その時世論を煽ったメディアは音無の構えだ。
3/26(火)になって「東亜日報」は米IBM危機管理専門家の意見を伝えている。
<韓国企業の情報技術(IT)分野への対応にも問題があると指摘した。データは海外を含め、複数のところに分けて保存することが重要であるが、企業各社はコスト削減のため、これをないがしろにしているという。特に、サイバーテロの脅威も増しており、このようなデータの分離保存は、基本中の基本だというのがラムジー氏の主張だ。
韓国企業各社のITバックアップや危機への対応レベルを評価を頼まれると、ラムジー氏は、「私が見てきた韓国企業についてだけ言えば、5点満点で0~3点ぐらいだ」とし、「海外には5点満点の企業が多いのに、韓国では1社も目にできなかった」と述べた。>
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2013032652358
自宅の付近に山陽本線白市駅というのがある。急な山麓の狭い場所に無理やり鉄道が引かれており、駅の周囲には発展するスペースがない。列車はトンネルを抜けて駅に止まり、発車するとまたトンネルに入る。明治の頃、山陽道の宿場町だった白市宿はそこから山奥に入った集落である。今は人影も乏しく、昔の民家がそのまま残っている。
聞けば、鉄道を引く話が生じたとき、村の人たちが「牛が怯えて暴れる」と鉄道建設に猛反対したのだそうだ。それでこの集落を避けて鉄道が敷かれた。おかげで列車を利用するには、山や谷を越えなければならなくなった。
隣駅の「西高屋」は多くの団地もでき、ショッピング・モールもできて、大発展しているが、最初のボタンを掛け違えた白市には、もう昔日の繁栄は戻らない。白市より一駅東の「入野(にゅうの)駅」は、最近無人駅になった。白市、入野近辺の団地、工業団地は開発後20年近くになるが、いまも更地が目立つ。広島県はここを大規模ソーラー発電に転用する計画だ。
歴史はこのように「ある偶然」が、その後の展開を規定することが多い。
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