【書評など】
1)エフロブ「買いたい新書」の書評にNo.300:幸田泉「小説・新聞販売局」(講談社)を取りあげました。新聞社の表の顔は編集局、裏の顔が販売局で、こちらは編集局社会部から左遷され、配置換えになった記者が、販売局の内幕を暴露しながら、編集局長と販売局長のクビを取るという「社会派ミステリ—」的な小説で、もちろん「幸田泉」氏の体験に基づいたものと思います。
読み終えたので地元の新聞販売店の店主に貸してあげたところ、「面白い、年末まで貸してくれ」と言っていました。たぶん友だちに又貸しするのだと思います。
これは年末年始の休暇を利用して、一気に読むとよい本だと思います。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1449731609
2)献本など
★「医薬経済」12/1号と12/15号のご恵送を受けた。お礼申し上げます。いづれも興味深い記事が満載だ。漢字が多くて読みにくいのが難点で、できるだけ「ひらく」ことと記事にリードをつけると読みやすくなると思う。
12/1号巻頭記事では国立がんセンター「地域がん登録室長」松田智大室長が16年1月施行の「がん登録推進法」について解説している。日本には「がん国勢調査」がない。米国では1960年代から「がん国勢調査」が行われ、州別、患者年齢別、性別に病名別のがん患者発生数とその病理学的診断の裏づけ率%をNIHが「年鑑」として刊行していた。
この統計があるから、1974年にグッドイヤー・タイアのナイアガラ工場で続けて3例、肝臓血管肉腫の患者が製造過程の労働者に発生した時、工場医の届け出でを受け、「偶然の一致とは考えられない」とNCIが判断し、間もなくポリ塩化ビフェニール(PVC)が原因物質だと解明された。(ついでながら、留学したばかりのNCIでの私の初仕事が、この血管肉腫の超微細構造を電子顕微鏡で調べることだった。自分で電顕を操作し、蛍光板上の所見を読みながら写真撮影ができる医師研究者は、日本人の私しかいなかったのだ。)
日本のがん研究は、すべての実験的・臨床的研究の元になるべき、正確ながん実態統計をなおざりにしてきた。「福島県の小児に甲状腺がんが多発している」というデータがあるが、被爆前の甲状腺がんの正確な基礎統計がない。だから発見率増加なのか実質増加なのか、決め手がない。
日本のがん罹患統計は、昭和46(1971)年に発足した「広島県がん組織登録制度」が初めて罹患統計とがんである証拠の病理標本登録を同時に行うことで、プロトタイプができた。あれから45年もたって、ようやくやっとアメリカ並みの体勢が整うというわけだ。
逆にいうと、これまでの日本の「がん疫学統計」はほとんどムダだった、あるいは科学的根拠がなかったということだ。典型は平山雄の「間接喫煙発癌説」だろう。
12/1号から元朝日記者辰濃哲郎の「リベラル言論衰退の深層を探る」の連載が始まった。面白い内容で賛同する点も多々あるが、リベラル(左派)衰退の原因は自称リベラルの勉強不足にある。ナショナル(右派)言論人の方がよっぽどよく勉強している。既成メディアと相互依存して、テレビ・新聞に持て囃されているうちに自己鍛錬をしなくなったのがリベラル凋落の原因だろう。「おごり」もある。佐野眞一はまさにそれで自滅した。
★★久間十義「禁断のスカルペル」(日経新聞社)をN先生から贈与された。厚くお礼申し上げます。「日経」連載の同名小説の単行本化で、12/10「日経」の書評で取り上げられている。言うまでもなく「修復腎移植」と東日本大震災を重ね合わせた物語設定です。
連載終了後に作者による再構成と加筆が行われ、物語が少し異なっているように思います。(連載は切り抜きし、3回分を1枚の台紙に貼り保存していますが、未照合なので記憶に依存。)修復腎移植と震災被災地へのエールを送る作者のスタンスに変わりはありません。
26の「東日本大震災」の瞬間から、3年後、離婚した夫に引き取られた娘が、腎不全のため祖父(晴子の元義父)から小径腎がんの腎移植を受けることになる。だが、娘(本人は実母だとしらない)が腎移植までして生きる人生に疑問を抱く。
この辺が大団円に向かって、一気に時ほぐれて行くところは見事だ。
余談だが、12/13毎日が「2015この3冊」という書評特集を組んでいた。「作家」という肩書を持つ書評家のレベル低下が著しい。現実(ファクト)をあまりにも軽んじている。漱石の「吾輩は猫である」「坊っちゃん」は実に綿密な資料調べに基づいて、フィクションが形成されている。鷗外の作品、山田風太郎の明治ものもそうだ。
書評家が20人、60冊の本をあげながら、「集団安保関連法案」の成立により、「戦後」が完全に終わったこと、従って「戦前期」に入ったのだ、ということを啓発するような本が一冊もあげられていない。12/20「毎日」の「この3冊」には「作家」が3人しかおらず、その分だけ推薦本がレベルアップしていた。それでも、現状のままだと、もう「毎日」書評欄には期待できない。
書店で「天声人語・英文対照朝日新聞 Vol.182 2015秋」(原書房, 2015/1)
という本を見つけて買ってきた。これがなかなか面白い。左開きの総横組みで、上半分が日本語(漢字には総ルビ)で、下半分が本文の英訳。執筆者が論説委員の福島申二と根本清樹であることも明記されている。さらに「英文訳注」と「フォトライブラリー」として挿絵写真も載っている。昨夏の「捏造・誤報」騒動以来、「朝日」も懸命に立て直しの努力をしていることが、よく伝わってくる。(しかし英訳は拙い。達意の英文でない、インテリの英語だと思う。)
もうちょっと「日経」の「春秋」や「産経」の「産経抄」のように、飄逸な味が出て来たら、私も「朝日」を購読するかもしれない。今はまだ「生硬」なコラムの感がつよい。
1)エフロブ「買いたい新書」の書評にNo.300:幸田泉「小説・新聞販売局」(講談社)を取りあげました。新聞社の表の顔は編集局、裏の顔が販売局で、こちらは編集局社会部から左遷され、配置換えになった記者が、販売局の内幕を暴露しながら、編集局長と販売局長のクビを取るという「社会派ミステリ—」的な小説で、もちろん「幸田泉」氏の体験に基づいたものと思います。
読み終えたので地元の新聞販売店の店主に貸してあげたところ、「面白い、年末まで貸してくれ」と言っていました。たぶん友だちに又貸しするのだと思います。
これは年末年始の休暇を利用して、一気に読むとよい本だと思います。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1449731609
2)献本など
★「医薬経済」12/1号と12/15号のご恵送を受けた。お礼申し上げます。いづれも興味深い記事が満載だ。漢字が多くて読みにくいのが難点で、できるだけ「ひらく」ことと記事にリードをつけると読みやすくなると思う。
12/1号巻頭記事では国立がんセンター「地域がん登録室長」松田智大室長が16年1月施行の「がん登録推進法」について解説している。日本には「がん国勢調査」がない。米国では1960年代から「がん国勢調査」が行われ、州別、患者年齢別、性別に病名別のがん患者発生数とその病理学的診断の裏づけ率%をNIHが「年鑑」として刊行していた。
この統計があるから、1974年にグッドイヤー・タイアのナイアガラ工場で続けて3例、肝臓血管肉腫の患者が製造過程の労働者に発生した時、工場医の届け出でを受け、「偶然の一致とは考えられない」とNCIが判断し、間もなくポリ塩化ビフェニール(PVC)が原因物質だと解明された。(ついでながら、留学したばかりのNCIでの私の初仕事が、この血管肉腫の超微細構造を電子顕微鏡で調べることだった。自分で電顕を操作し、蛍光板上の所見を読みながら写真撮影ができる医師研究者は、日本人の私しかいなかったのだ。)
日本のがん研究は、すべての実験的・臨床的研究の元になるべき、正確ながん実態統計をなおざりにしてきた。「福島県の小児に甲状腺がんが多発している」というデータがあるが、被爆前の甲状腺がんの正確な基礎統計がない。だから発見率増加なのか実質増加なのか、決め手がない。
日本のがん罹患統計は、昭和46(1971)年に発足した「広島県がん組織登録制度」が初めて罹患統計とがんである証拠の病理標本登録を同時に行うことで、プロトタイプができた。あれから45年もたって、ようやくやっとアメリカ並みの体勢が整うというわけだ。
逆にいうと、これまでの日本の「がん疫学統計」はほとんどムダだった、あるいは科学的根拠がなかったということだ。典型は平山雄の「間接喫煙発癌説」だろう。
12/1号から元朝日記者辰濃哲郎の「リベラル言論衰退の深層を探る」の連載が始まった。面白い内容で賛同する点も多々あるが、リベラル(左派)衰退の原因は自称リベラルの勉強不足にある。ナショナル(右派)言論人の方がよっぽどよく勉強している。既成メディアと相互依存して、テレビ・新聞に持て囃されているうちに自己鍛錬をしなくなったのがリベラル凋落の原因だろう。「おごり」もある。佐野眞一はまさにそれで自滅した。
★★久間十義「禁断のスカルペル」(日経新聞社)をN先生から贈与された。厚くお礼申し上げます。「日経」連載の同名小説の単行本化で、12/10「日経」の書評で取り上げられている。言うまでもなく「修復腎移植」と東日本大震災を重ね合わせた物語設定です。
連載終了後に作者による再構成と加筆が行われ、物語が少し異なっているように思います。(連載は切り抜きし、3回分を1枚の台紙に貼り保存していますが、未照合なので記憶に依存。)修復腎移植と震災被災地へのエールを送る作者のスタンスに変わりはありません。
26の「東日本大震災」の瞬間から、3年後、離婚した夫に引き取られた娘が、腎不全のため祖父(晴子の元義父)から小径腎がんの腎移植を受けることになる。だが、娘(本人は実母だとしらない)が腎移植までして生きる人生に疑問を抱く。
この辺が大団円に向かって、一気に時ほぐれて行くところは見事だ。
余談だが、12/13毎日が「2015この3冊」という書評特集を組んでいた。「作家」という肩書を持つ書評家のレベル低下が著しい。現実(ファクト)をあまりにも軽んじている。漱石の「吾輩は猫である」「坊っちゃん」は実に綿密な資料調べに基づいて、フィクションが形成されている。鷗外の作品、山田風太郎の明治ものもそうだ。
書評家が20人、60冊の本をあげながら、「集団安保関連法案」の成立により、「戦後」が完全に終わったこと、従って「戦前期」に入ったのだ、ということを啓発するような本が一冊もあげられていない。12/20「毎日」の「この3冊」には「作家」が3人しかおらず、その分だけ推薦本がレベルアップしていた。それでも、現状のままだと、もう「毎日」書評欄には期待できない。
書店で「天声人語・英文対照朝日新聞 Vol.182 2015秋」(原書房, 2015/1)
という本を見つけて買ってきた。これがなかなか面白い。左開きの総横組みで、上半分が日本語(漢字には総ルビ)で、下半分が本文の英訳。執筆者が論説委員の福島申二と根本清樹であることも明記されている。さらに「英文訳注」と「フォトライブラリー」として挿絵写真も載っている。昨夏の「捏造・誤報」騒動以来、「朝日」も懸命に立て直しの努力をしていることが、よく伝わってくる。(しかし英訳は拙い。達意の英文でない、インテリの英語だと思う。)
もうちょっと「日経」の「春秋」や「産経」の「産経抄」のように、飄逸な味が出て来たら、私も「朝日」を購読するかもしれない。今はまだ「生硬」なコラムの感がつよい。
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