【毒ガス】広島大井内康輝名誉教授から『マスタードガス傷害アトラス』の献本をいただいた。お礼申し上げます。
旧日本陸軍の毒ガス製造工場ははじめ東京にあったが、関東大震災後に広島県竹原市の沖の孤島「大久野島」に移転した。今は「国民休暇村」になっており、野性のウサギの島で、到るところにウサギがいる。山際に毒ガス工場の一部が残っている。
この島での毒ガス製造には、多く付近の住民が採用され、急性・慢性の中毒患者を出した。戦後、その患者認定、治療、健康管理などにとり組んだのが、広島大学医学部第2内科と第2病理だった。
イラク=イラン戦争(1980-88)でも、イラクによってマスタードを中心に多種の毒ガスが使用され、イラン人とクルド族に多くの死傷者を出した。
その被害者支援のため、NPOの仲介で、大久野島の蓄積を持つ広島大グループがイランとの交流をおこなった。その記録である。
英語、イラン語、日本語の3カ国語で印刷してあり、第1部「マスタードガス総論」では、毒ガスの兵器としての歴史、化学的な性質、人体への影響などが述べられている。第2部「イランからの報告」では、マスタードガスが各臓器に与えた影響、社会心理学的な影響、生存者に対する健康管理、補償などが述べられている。第3部「日本からの報告」では、大久野島における毒ガス製造の歴史、従業員の暴露状況と後遺症、肺の病理学的病変などが述べられている。
毒ガスは1915年4月22日、西部戦線のベルギー・イープル市の線線でドイツ軍により初めて大規模に、実戦使用され、連合軍側に多数の死傷者を出した。
この時に使用されたのはボンベから放出された「塩素ガス」である。世にいう「イペリットガス」すなわちマスタードガスは、1917年7月12日、ドイツ軍が砲弾に詰めて使用したもので、使用場所はイープル市近郊の「ニューポール」線線ともいわれる。
1915年当時、すでにドイツは食塩水を加水分解して水酸化ナトリウムを合成する技術を開発しており、その過程で出る毒性の高い塩素ガスの処理に困っていた。これを利用して「化学兵器」が開発できるというアイデアを得たのが「カイザーウィルヘルム研究所」のユダヤ人化学者フリッツ・ハーバーである。
1915年4月のイープル攻撃では多数のボンベに詰めた塩素ガスを、風向を利用して風下の仏英連合軍の側に流し、敵に多数の損害をもたらした。
1917年に、線線をこの当たりにまで押し戻された独軍が、砲弾に詰めた新しい毒ガスを発射した。
塩素を硫黄に結合させることで、ビス(2ークロロエチル)スルフィドができる。これは結膜、皮膚、気道粘膜にびらん作用をもつ毒ガスで、「イペリット」という名称は前回のイープルでの成功を記念してドイツ軍がつけたもの、という。ドイツでは「青十字」と「黄十字」という青酸性と塩素性の2種のガスを開発していて、イペリットは「黄十字」に属していた。
私はイープルで毒ガスが最初に使用され、それがイペリットだと思っていたが、最初に使用された毒ガスは塩素であった。
毒ガスを開発したドイツの化学者ハーバーは、「アンモニアの有機合成」により1918年のノーベル化学賞を単独受賞している。たしかにこれで化学肥料の合成が可能になったのであり、受賞に値する重要な発見といえるだろう。
しかしイペリットを開発したのは彼ではない。
イペリットは「からし」の臭いがする無色透明の液体で、びらん作用がきわめて強い。治療に当たった米軍の軍医たちが、患者血液に「白血球減少」が起こることに気づいた。原爆の症状と同じである。その後、アメリカでマスタードガスの基礎的研究が続けれた結果、硫黄を窒素で置換したもの、つまり「ナイトロジェン・マスタード」には悪性リンパ腫や白血病に対する治療効果があることがわかった。
放射線がヒトに害を与えるとともに、ヒトのがんを治療するのに役立つのと同様である。
こうして毒ガス由来の「ナイトロジェン・マスタード」は、世界最初の「がん化学療法剤」になったわけである。これは世界初のがんの化学療法剤であり、マイトマイシンCはその一つだが、日本では承認されなかった。しかし別な誘導体であるシスプラチン、プソラレンなどは、別の理由で承認されている。
歴史の教訓は、「毒ガスは災厄をもたらしたが、その機序を研究することにより、人類の災厄を救済する道も拓けた」ということだ。
「がんを治す作用のあるものは、発がん作用もある」ということは確かであり、毒ガス被害者の今後はこれからも見守って行く必要がある。
旧日本陸軍の毒ガス製造工場ははじめ東京にあったが、関東大震災後に広島県竹原市の沖の孤島「大久野島」に移転した。今は「国民休暇村」になっており、野性のウサギの島で、到るところにウサギがいる。山際に毒ガス工場の一部が残っている。
この島での毒ガス製造には、多く付近の住民が採用され、急性・慢性の中毒患者を出した。戦後、その患者認定、治療、健康管理などにとり組んだのが、広島大学医学部第2内科と第2病理だった。
イラク=イラン戦争(1980-88)でも、イラクによってマスタードを中心に多種の毒ガスが使用され、イラン人とクルド族に多くの死傷者を出した。
その被害者支援のため、NPOの仲介で、大久野島の蓄積を持つ広島大グループがイランとの交流をおこなった。その記録である。
英語、イラン語、日本語の3カ国語で印刷してあり、第1部「マスタードガス総論」では、毒ガスの兵器としての歴史、化学的な性質、人体への影響などが述べられている。第2部「イランからの報告」では、マスタードガスが各臓器に与えた影響、社会心理学的な影響、生存者に対する健康管理、補償などが述べられている。第3部「日本からの報告」では、大久野島における毒ガス製造の歴史、従業員の暴露状況と後遺症、肺の病理学的病変などが述べられている。
毒ガスは1915年4月22日、西部戦線のベルギー・イープル市の線線でドイツ軍により初めて大規模に、実戦使用され、連合軍側に多数の死傷者を出した。
この時に使用されたのはボンベから放出された「塩素ガス」である。世にいう「イペリットガス」すなわちマスタードガスは、1917年7月12日、ドイツ軍が砲弾に詰めて使用したもので、使用場所はイープル市近郊の「ニューポール」線線ともいわれる。
1915年当時、すでにドイツは食塩水を加水分解して水酸化ナトリウムを合成する技術を開発しており、その過程で出る毒性の高い塩素ガスの処理に困っていた。これを利用して「化学兵器」が開発できるというアイデアを得たのが「カイザーウィルヘルム研究所」のユダヤ人化学者フリッツ・ハーバーである。
1915年4月のイープル攻撃では多数のボンベに詰めた塩素ガスを、風向を利用して風下の仏英連合軍の側に流し、敵に多数の損害をもたらした。
1917年に、線線をこの当たりにまで押し戻された独軍が、砲弾に詰めた新しい毒ガスを発射した。
塩素を硫黄に結合させることで、ビス(2ークロロエチル)スルフィドができる。これは結膜、皮膚、気道粘膜にびらん作用をもつ毒ガスで、「イペリット」という名称は前回のイープルでの成功を記念してドイツ軍がつけたもの、という。ドイツでは「青十字」と「黄十字」という青酸性と塩素性の2種のガスを開発していて、イペリットは「黄十字」に属していた。
私はイープルで毒ガスが最初に使用され、それがイペリットだと思っていたが、最初に使用された毒ガスは塩素であった。
毒ガスを開発したドイツの化学者ハーバーは、「アンモニアの有機合成」により1918年のノーベル化学賞を単独受賞している。たしかにこれで化学肥料の合成が可能になったのであり、受賞に値する重要な発見といえるだろう。
しかしイペリットを開発したのは彼ではない。
イペリットは「からし」の臭いがする無色透明の液体で、びらん作用がきわめて強い。治療に当たった米軍の軍医たちが、患者血液に「白血球減少」が起こることに気づいた。原爆の症状と同じである。その後、アメリカでマスタードガスの基礎的研究が続けれた結果、硫黄を窒素で置換したもの、つまり「ナイトロジェン・マスタード」には悪性リンパ腫や白血病に対する治療効果があることがわかった。
放射線がヒトに害を与えるとともに、ヒトのがんを治療するのに役立つのと同様である。
こうして毒ガス由来の「ナイトロジェン・マスタード」は、世界最初の「がん化学療法剤」になったわけである。これは世界初のがんの化学療法剤であり、マイトマイシンCはその一つだが、日本では承認されなかった。しかし別な誘導体であるシスプラチン、プソラレンなどは、別の理由で承認されている。
歴史の教訓は、「毒ガスは災厄をもたらしたが、その機序を研究することにより、人類の災厄を救済する道も拓けた」ということだ。
「がんを治す作用のあるものは、発がん作用もある」ということは確かであり、毒ガス被害者の今後はこれからも見守って行く必要がある。
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