ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【尖閣諸島】難波先生より

2012-09-10 12:31:00 | 難波紘二先生
【尖閣諸島】メディアは島の所有者について一切報じないが、その理由がわからない。
 尖閣諸島は、1895(明治28)年1月14日の閣議決定により、国有地として沖縄県に編入された。
翌年9月、古賀辰四郎の「官有地拝借願」に対して政府は魚釣島を含む主要4島を「開拓奨励のため」、「30年間無償貸与」している。辰四郎は福岡の商人で茶の販売を主に行っていた。無償貸与を受けた後、魚釣島、南小島を中心に船着き場を建築し、工場用地を造成し、アホウドリの捕獲、鰹の捕獲とカツオブシ加工、鼈甲の加工などを始めた1)。 
 事業の最盛期には尖閣諸島全体で99世帯248人が暮らしていた2)。
 
 辰四郎は1918年、63歳で死去し、事業は息子の古賀善次に引き継がれた2)。
 1932年、魚釣島、久場島、南小島、北小島の4島は、善次に約1万5000円で払い下げとなった。
 この4島が古賀善次の私有地であることは、ここに始まる。


 1945年、米国占領地域に入り、1958年の米国民政施行に伴い、米国民政府は久場島に関して善次と「軍用地賃貸契約」を結び、善次に賃貸料を支払ってきた。
 また琉球政府は、善次が私有する4島に対して固定資産税を徴収してきた。
 1974年6月、善次の死後妻が栗原国起(埼玉県大宮市)に対して、魚釣島、北小島、南小島の3島を約4,600万円で売却し、所有権が移転した。
 以後、久場島以外の3島は栗原家の私有地となっている。久場島を売らなかったのは、米軍から地代が入ってくるからである。


 1983年度の支払い固定資産税は、次の通りである1)。
 栗原氏=45万円、
 古賀氏=9万円


 いま、テレビに登場して「兄と連絡が取れない」としゃべっている人物は、栗原国起の息子である。つまり国起はすでに死亡し、3島の所有権は長男に相続されたものと思われる。
この人物の名前も住所も、法務局の土地台帳を閲覧すればすぐにわかるのに、大メディアはぜんぜん報道の努力をしない。
 そもそも埼玉の「栗原家」なるものが、何を業としていたのか、古賀家がなぜ栗原家に売却したのか、そのいきさつもわからない。
 
 土地の価格は、魚釣島他2島の購入価格4,600万円を考えれば、40年間で10倍として4億6000万円が妥当なところであろう。
 そもそも固定資産税として、土地購入価格の1%を毎年支払ってきているので、この点からも妥当である。
 国は石原都知事に買われたくないばかりに、20億5000万円というべらぼうな金を支払おうとしている。都知事が買おうというのは、島を生かす目的だが、国は「塩漬け」にするために買おうとしている。馬鹿げたことだ。


 栗原一族に所有させておくべきだ。そして固定資産税を時価相当にアップすればよい。どうせ払えなくなるから、税金未納で差し押さえれば、ただで国家のものになるではないか。
そんな金があったら、国立大学の予算執行を停止するというようなバカなまねをやめろ!
 尖閣諸島問題
 http://ja.wikipedia.org/wiki/尖閣諸島
 <参考文献>
  1)芹田健太郎:「日本の領土」, 中公叢書, 2002
 2)山田吉彦:「日本国境の新事実」, じっぴコンパクト新書, 2012
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