ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

朝は、走って

2012-08-08 22:00:29 | 信心
信心が何になるのかと問われれば、
単に、自己満足としてということになります。

しかし、金儲けで無い宗教というのは、自己満足でしか無いように思います。
そして、
本来、宗教と科学、あるいは経済というのは、
究極として、同じ結論を導くものであるはずです。


ところが、金のために行うことで、
企業経営・組織経営、宗教というのものはゆがみ、
個々、それぞれに関わる人々皆の幸せを目指すのでは無くて、
利己的に、排他的に、
自分だけが良ければ良いという自分だけの幸せを目指してしまうわけです。

では、自分の人生が、どうであるか、考える機会になりました。
奇しくも、夜の飲み会で、応援して頂いている社長さんが、
「武田もそろそろ福祉関係でも活動をしていかなければならない」と、ご教示頂いたのであります。

自己満足のために、安産を願って、子安地蔵様にお参りに行く。
自分の子供だけで良いのかというと、けしてそうでは無いのです。

みんなが、最低限の幸せを得られるだけの、スタートラインに付けなければなりません、
また、スタート後であっても、頑張ってきた人、頑張れなくなった人を支えていく制度が必要です。
それを公が負うのであります。
一方で、頑張らないで生きて来た人には同じレベルの支援は要らないのであって、
頑張った人に、それなりの優遇が在って然るべきであります。
その判断を行うのも、公、政治であります。


清貧でありたい、他人の幸せを我がことのように喜びたい・・・。
そもそも政治というのは、選挙目当てに主張するのでは無く、
ましてや、自分の金儲けの為に政策を変えてはなりません。

常日頃から、問題意識を持ち、政策を発信できる人が公平に(資産や出自に関わらず)政治に携われる、
そういう場であってほしいと思います。

さて、明日も頑張っていきましょう。

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